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2018.12.13 23:17

「クリスマスと聖書」①「受胎告知」

 この時期、あちこちからクリスマスソングが聞こえ、「メリークリスマス」の大合唱。クリスマス狂騒と言ってもいい状況が展開される。別に目くじら立てるつもりはないが、現在の外国人旅行者の増加、これからの外国人労働者の急増という事態を考えるとき、宗教の問題についてこれまでのように無頓着で...

2018.12.13 03:34

江戸の名所「浅草」⑨待乳山聖天(まつちやましょうでん)

  池波正太郎は随筆の一節でこう記している。「 生家は跡形もないが大川の水と待乳山聖天宮は、私の心の故郷のようなものだ 」 池波正太郎が生まれたのは大正12年1月25日( 1923 )。この年の9月1日、未曽有の大災害が発生する。関東大震災だ。正太郎は両親と共に埼玉県浦...

2018.12.12 00:19

江戸の名所「浅草」⑧歳の市

 12月17日から19日は浅草歳の市。その歴史は古く、両国橋が架けられた万治元年(1659年)頃とされる。扱っていたのは日常生活用品の他に新年を迎える正月用品。やがてそれが主になり、そこに羽子板が加わり華やかさが人目をひくようになる。その華やかさから押し絵羽子板が「市」の主要な商...

2018.12.11 00:17

江戸の名所「浅草」⑦「奥山の見世物小屋」3 深井志道軒

 桜綱駒寿の蝋燭渡りの曲芸、松本喜三郎の生人形による「西国三十三所観音霊験記」とともに、トリップできるなら江戸の浅草奥山で見て見たいもののひとつが深井志道軒の辻講釈。この志道軒。延宝8年(1680)生まれで明和2年(1765)に86歳で没している。今ではほとんど知られていないが、...

2018.12.10 01:43

江戸の名所「浅草」⑥「奥山の見世物小屋」2「生人形」

 細工物見世物の中で、幕末から明治にかけて登場し人気を博したのが「生人形」(いきにんぎょう)。まるで生きているかのようなリアルな細工(特にその「人肌」)をほどこした等身大の人形。その「生人形」のスーパースターと言えば、松本喜三郎。出身は熊本。生人形のもとといわれる、熊本市で盛んだ...

2018.12.09 06:11

江戸の名所「浅草」⑤「奥山の見世物小屋」1

 1867年パリ万国博覧会。日本が初めて参加した国際博覧会である。会場はシャン・ド・マルス。現在、エッフェル塔が立っている場所だ。日本の出展の中で話題になった出し物のひとつに「松井源水の曲独楽」があった。ロンドンで発行されていた「THE ILLUSTRATED LONDON NE...

2018.12.08 10:56

「麦湯の女」

 今日は、よみうりカルチャー北千住で江戸時代の夏の食べ物、飲み物の講座。鰻、天麩羅、どじょう等の話が中心だったが、準備をしていて驚いたのは「麦湯の女」。麦湯とは麦茶のことで、ただこれを出すだけの店が多くの浮世絵として残っているのが不思議だった。明和の三美人とか寛政の三美人とかのよ...

2018.12.05 21:24

江戸の名所「浅草」④「仲見世」と「二十軒茶屋」

 明和三美人のひとり「蔦屋お芳」は浅草寺「二十軒茶屋」の看板娘。この「二十軒茶屋」、仲見世の仁王門(現在の宝蔵門)寄りの所に並んでいた。寛文(1661-73)以前からあったといわれ、もとは36軒の茶店があった。そのため三十六歌仙(すぐれた歌聖として崇拝された 36人の歌人の総称)...

2018.12.04 23:20

江戸の名所「浅草」③「仲見世」と楊枝屋

 雷門を入ると、長さ約300メートルにわたってお店が続く(現在、通りの東側に54店、西側に35店、合計89店)。仲見世だ。その名前は、雷門(風雷神門)と宝蔵門(仁王門)の間(中→仲)にあった店に由来。店は、雷門の外にも、仁王門と本殿の間にもあったから、それらと区別するためのようだ...

2018.12.03 23:44

江戸の名所「浅草」②雷門

 年間約3000万人が訪れる世界的な観光地である浅草。そんな浅草のシンボルでもある雷門。正式名称は「風雷神門」(雷門に向かって右側に風神【風を司る神】の像、左側に雷神【雷を司る神)】の像)。浅草寺の境内の入口にあるが、もとは天慶5年(942)に創建され、駒形(台東区)あたりにあっ...

2018.12.03 07:39

江戸の名所「浅草」①聖観音菩薩像

 こんな川柳がある。      「網打が氏神に成る宮戸川」  「いい漁があつて三人玉の輿」 これは浅草神社の起源にかかわる。628年(推古天皇36年)、漁師である檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟が隅田川で投網漁をしていると、小さな観音様が網にかかった。土地の...

2018.12.01 21:35

江戸の名所「日本橋」⑤「十軒店」(じっけんだな)

 ペリー来航以後、日本は尊王攘夷の嵐が吹き荒れる。例えば、1861年の「第一次東禅寺事件」。初代イギリス公使オールコックが、長崎から江戸へ陸路で(幕府は海路の利用を要請していたが)戻ったことに対して、「神州日本が穢された!」として、当時イギリス公使館の置かれていた高輪東禅寺を水戸...

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