江戸の名所「浅草」②雷門
年間約3000万人が訪れる世界的な観光地である浅草。そんな浅草のシンボルでもある雷門。正式名称は「風雷神門」(雷門に向かって右側に風神【風を司る神】の像、左側に雷神【雷を司る神)】の像)。浅草寺の境内の入口にあるが、もとは天慶5年(942)に創建され、駒形(台東区)あたりにあった。鎌倉時代以降に現在の地に移築された際、風神・雷神が初めて安置されたと言われている。雷門の大提灯。高さは3.9m、直径は3.3m、重さはなんと約700kgもある。底には、隅田川で聖観音像が網にかかった時、龍神が金鱗を輝かせて現れたという逸話にちなんで、龍の彫刻がほどこされている。また日本では、大海に住む龍は、雲を呼び、雨を降らす力を持っていると考えられてきたため、木造建築が密集するため火事に弱い町の浅草では、雨を降らせて火事から人々を救ってくれる龍は、龍神として崇められてきたことも関わっている。裏側にまわって雷門を眺めると、大提灯には「風雷神門」と書かれ、その両側には、門に向かって右側に金龍像(女性の姿)、左側に天龍像(男性の姿)が置かれている。金龍と天龍は、水をつかさどる龍神であり、仏教徒を守る神とされている。 ただ江戸っ子たちも、「風雷神門」などと長ったらしい言い方はせず「雷門」と呼んでいたようだ。こんな川柳がある。
「門の名で見りゃ風神は居候」
ところで、浮世絵で江戸時代の雷門の大提灯を見ると今のように「雷門」の文字は見当たらない。書かれているのは「志ん橋」の文字。雷門が1795(寛政7)年に再建された時、新橋の海産物商人たちが奉納したからだ。しかしこの雷門も、1865(慶応元)年に田原町からの火災で類焼。次に再建されるのはなんと約100年後。1960(昭和35)年、寄進したのはにパナソニック創業者・松下幸之助。この時に初めて、大提灯正面に「雷門」と書かれた。「浅草寺といえば雷門」(「雷門」と書かれた大提灯)というのは戦後に形成された、比較的新しいイメージなのである。
では、「志ん橋」の文字のある大提灯は、というと現在は本堂(観音堂)に掛っている。この大提灯も、新橋の方々からの奉納提灯で、平成16年12月に制作し寄進されたということだ。
(豊国「浅草雷神門之光景」)
(溪斎英泉「江戸名所盡 金龍山浅草寺雷神門之図」)
(国綱「江戸名所之内 浅くさ観世音雷神門」)
(広重「江都名所 浅草金龍山」)
(大提燈の底の龍の彫刻)
(『江戸名所図会』金龍山浅草寺 其一)部分
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