江戸の名所「浅草」①聖観音菩薩像

 こんな川柳がある。

      「網打が氏神に成る宮戸川」  「いい漁があつて三人玉の輿」

 これは浅草神社の起源にかかわる。628年(推古天皇36年)、漁師である檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟が隅田川で投網漁をしていると、小さな観音様が網にかかった。土地の名士・土師真中知(はじのまつち)に見せたところ、「これは尊い聖観音菩薩像だ」といってお堂を建ててお祀りした。この時、天から金鱗の龍が下りてきて三日三晩お堂をまわって聖観音様をお守りしたと言われ、浅草寺の山号“金龍山”はこの話に由来している。もちろん、この川柳は「氏神」、「玉の輿」とあって直接は寺とは関係ない。これは浅草神社にかかわりがある。浅草神社は「三社様」と呼ばれ、「三社祭」も有名だが、この神社が祀っているのが檜前浜成、檜前竹成、土師真中知の3人=三社様なのだ。

 三社祭、現在は五月第三土・日に行われるが、江戸時代は三月十七・十八日に行われていた。違いは実施日だけではない。今は神輿を担いで町を練り歩くだけだが、かつては「舟渡御」が行われていた。その様子は『東都歳時記』の「三社神輿船渡御の図 三月十八日淺草三社権現祭禮」に描かれている。落語でも有名な「宮戸川」という呼び名も、隅田川のうち神輿が舟で旅する部分をいう。

 ところで1200年以上庶民の信仰を集め続けてきた浅草寺だが、本堂の御宮殿に安置されている御本尊、聖観音菩薩は秘仏であるため、、一般の目に触れることは一切なく、その存在は秘密のベールに包まれたまま。残念。

 (国貞「宮戸川三社の由来」)聖観音菩薩像が網にかかった場面

(広重「東都旧跡尽 浅草金竜山 観世音由来」)聖観音菩薩像が網にかかった場面

(魚屋北渓「東都金龍山浅草寺図」)浅草寺の全体像がよくわかる

(広重「東都名所 浅草金龍山」)

(『江戸切絵図』今戸箕輪浅草絵図)浅草寺境内の部分

(広重「名所江戸百景 浅草金龍山」)

(『東都歳時記』「三社神輿船渡御の図 三月十八日淺草三社権現祭禮」)

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