江戸幕府はどのようにしてロシアの脅威を認識し、北方防衛体制を整備していったのか?
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ロシアと日本はどのようにしてであったのか?16世紀後半から17世紀前半の脅威的なロシアの領土拡大を江戸幕府は把握していたか?
日時 2025年12月8日(月) 13:30~15:30
会場 奥沢まちづくりセンター 2階・活動フロア
参加費 300円 募集定員 40名
申込受付期間 2025年12月8日まで (先着順のため、定員に達した場合は募集を停止)
申込方法 奥沢地誌保存会ホームページの「お申込みフォーム」に記載の上で送信
HP https://okusawa-chishihozonkai.jimdofree.com/
講演会内容の概要
18世紀後半、ロシアの東進により日本の北方が国際政治の舞台に浮上します。漂流民の帰国や探検家の活動を通じて、幕府は初めてロシアと接触。ラクスマン・レザノフ来航、ゴローニン事件などを経て、鎖国体制の中でも日露外交がスタートします。本講座では、プチャーチン来航以前の「開国前夜」を舞台に、江戸幕府がいかにして北方世界と向き合ったかをたどります。
朝日カルチャーセンター新宿教室で実施する講座の案内
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