江戸の名所「浅草」⑤「奥山の見世物小屋」1

 1867年パリ万国博覧会。日本が初めて参加した国際博覧会である。会場はシャン・ド・マルス。現在、エッフェル塔が立っている場所だ。日本の出展の中で話題になった出し物のひとつに「松井源水の曲独楽」があった。ロンドンで発行されていた「THE ILLUSTRATED LONDON NEWS」の2月23日号にこんな記事が載った。 

「サン・マルタン館での日本人奇術師・曲芸師の一座のすばらしく、しかも楽しい芸が、毎晩たくさん見物人を魅了し続けている。・・・これら巧妙な離れ業のひとつは有名な独楽まわしのジャエンシ[松井源水]が見せてくれたもので、この人は普通のやり方で独楽のまわりに紐を巻き付けて独楽を回したが、独楽はまるで生き物かと思われるようなすばやいさまざまな動きを全部やってのけた。」

 この松井源水が活動していたのが、浅草の奥山(浅草寺本堂西側一帯)だった。当時の奥山は、見世物小屋が立ち並び、講釈や軽業の大道芸も盛んで、たいへんなにぎわいだった。早竹虎吉と同時期に大坂から下り、幕末の軽業二名人と言われた桜綱駒寿の一座もここ奥山で興行を行った。火のついた細いロウソクを並べてその上を歩くという奇術の要素をもった軽業まで披露した。

 見世物はこのような「曲芸・軽業」以外にも「細工見世物」(人や動物の細工、からくり、人形など)もあった。見世物興行のなかで、江戸時代後期~幕末に大ブームとなり一番興行件数も多かったジャンルだが、このブームのきっかけは、1819年(文政2年)に浅草奥山で見世物にかけられた、大坂の籠職人・一田庄七郎による「三国志」の猛将・関羽(その大きさはなんと7m)。巨大でカラフルな籠細工により興行は大成功。期間延長を重ね100日にもわたるロングランとなり、動員数は40万人とも50万人だったとも言われる。また1847年、浅草奥山での見世物のために準備された巨大カラクリ人形は見世物小屋のサイズも間口40間(約73m)と超巨大。しかも、この巨体がゼンマイ仕掛けで動くというのだから興行前から話題沸騰。事前に浮世絵もたくさん出回ったが、大きくてお金かかりすぎるからというので興行直前に寺社奉行から「待った」がかかり興行は中止。江戸っ子たちも超ガッカリだったようだ。

 (橋本貞秀「浅草金龍山境内ニおいて大人形ぜんまい仕掛の図」)

(『近世職人尽絵詞』松井源水の曲独楽)

(松井源水の曲独楽「THE ILLUSTRATED LONDON NEWS」の2月23日号)

(1867年 パリ万国博覧会 シャン・ド・マルス会場)

(エッフェル塔)

(二代国貞「大坂下り桜綱駒寿 桜綱幸吉 浅草観音境内において興行仕候(蝋燭渡りの曲)」)

(二代国貞「大坂下り桜綱駒寿 桜綱幸吉 浅草境内において興行仕候(梯子の曲手鞠)」)

(一田庄七郎の関羽像)

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