「クリスマスと聖書」①「受胎告知」
この時期、あちこちからクリスマスソングが聞こえ、「メリークリスマス」の大合唱。クリスマス狂騒と言ってもいい状況が展開される。別に目くじら立てるつもりはないが、現在の外国人旅行者の増加、これからの外国人労働者の急増という事態を考えるとき、宗教の問題についてこれまでのように無頓着ではいられなくなってくると感じている(彼らの大部分は信仰をもっている)。日本人は、江戸時代を見ても本来異なる宗教の神道と仏教が習合していたり、お伊勢詣りや大山詣りを見ても信仰と行楽が一体化しており、世界的に見ればかなり特異(無節操と言ってもいい)な信仰の形態を保持してきたように思う。鎖国をしていた江戸時代なら問題はなかったろう。明治以降も、外国人旅行者、外国人労働者が少なかった状態の時ならあまり表面化しなかった摩擦がこれからは生じる可能性が高い。この時期に、「クリスマス」についてちょっと考えてみるのも無意味ではないように思う。キリスト教の聖典である聖書の記述に従いながら、イエス誕生の物語をよく知られた名画もとりあげながら語ってみたい。
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。」(マタイ福音書 1章1節)
この誕生は事前に、天使ガブリエルによってマリアに知らされていた。このときマリアはヨセフのいいなずけであったが、男性経験はなかった。天使はそのマリアのところに来てこう告げる。ルカ福音書1章28節~38節の記述はこうだ(「」が聖書の記述)。
「『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』」
いきなり、こんな言葉で祝福されても理解できるはずがない。マリアは、戸惑い、その挨拶は何の事を言っているのか考えこむ。すると、天使が言う。
「『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。』」
マリアがびっくりするのも無理はない。男性経験もないのに男の子、しかもやがて「偉大な人」になる子、「いと高き方の子」を身ごもり、出産すると告げられたのだから。
「マリアは天使に言った。『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』」
それに対して天使はこう答える。
「『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・神にできないことは何一つない。』」
マリアがなぜ神の子を産む母として選ばれたのか。彼女は自ら言うように「身分の低い・・・主のはしため」。そんな彼女がおそらくほかの女性との違いとしてきわだっていたのは信仰心の篤さ、全能の神を信じる信仰の強さ。それが、天使の言葉に対する返答に現れている。普通ならとても信じられない天使のお告げに対してマリアはこう答えるのだ。
「『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』」
この後の場面でエリザベートが「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」とマリアを評するが、そのような信仰篤き女性だったのだ。全知全能の神を信じきる驚くべき信仰心。この「受胎告知」を描いた絵画は無数と言っていいほどあるが、この場面の本質を最もよく描いと思っているのはフィレンツェのサン・マルコ美術館にあるフラ・アンジェリコの作品である。
(1472年頃 レオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』 ウフィツィ美術館)
(1333年頃 シモーネ・マルティーニ『受胎告知』 ウフィツィ美術館)
(1443年頃 フラ・アンジェリコ『受胎告知』 サン・マルコ美術館)
(1490年頃 ボッティチェッリ『受胎告知』 ウフィツィ美術館)
(1581年頃 ティントレット『受胎告知』 サン・ロッコ大信徒会 ヴェネツィア)
(1600年頃 エル・グレコ『受胎告知』 大原美術館)日本で見られる、素晴らしい受胎告知画
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