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2021.06.06 05:04

「大航海時代の日本」13 秀吉「バテレン追放令」②「名優」秀吉

 「バテレン追放令」の「バテレン」とはポルトガル語の「パードレ」、つまり司祭(神父)のことだが、この追放令で対象にされたのは宣教師全般だったようだ。では、日本人のキリシタンはどう扱われたのか?バテレン追放令の前日に出された「天正十五年六月十八日付覚」には、一定以上の領地を持った武...

2021.06.05 05:06

「大航海時代の日本」12 秀吉「バテレン追放令」①九州平定

 オルガンティーノによれば、大坂城での会見時(1586年5月4日)、コエリュは秀吉に九州への出陣を要請し、出陣の際には九州のキリシタン大名をすべて秀吉側に立たせるよう尽力することを述べた。コエリュの本音は、島津氏(薩摩)に圧迫されつつあるキリシタン大名の有馬氏(肥前)と大友氏(豊...

2021.06.04 03:53

「大航海時代の日本」11 イエズス会士アレッサンドロ・ヴァリニャーノ②ガスパール・コエリュ

 信長が本能寺の変で斃れたのは1582年6月21日、ヴァリニャーノと少年使節が長崎を発った4か月後のことだった。少年使節に同行せず、インド管区長としてゴアに残ったヴァリニャーノが、帰国する少年使節とともに再来日するのは1590年7月。この間、イエズス会の日本布教の責任者(日本準管...

2021.06.02 22:16

「大航海時代の日本」10 イエズス会士アレッサンドロ・ヴァリニャーノ①天正遣欧少年使節

「大航海時代の日本」10 イエズス会士アレッサンドロ・ヴァリニャーノ①天正遣欧少年使節 ヴァリニャーノは極めて政治的人間、ルネサンス人、マキャヴェリストだったと思う。イエズス会士に日本の風習を重視させようとしたり、日本人を同等に扱おうとしたからと言って、簡単に「善人」などと捉えて...

2021.06.02 02:09

「大航海時代の日本」9 織田信長VSイエズス会(3)

 キリシタン大名というと九州の大村純忠、大友宗麟、有馬晴信が有名だが、畿内の一般武士にも急速にキリシタンは増えていった。そのことを示す例が1566年の「クリスマス停戦」。勝手に名付けたが、これは、畿内の主導権をめぐって戦っていた松永久秀と三好三人衆(三好長逸【ながやす】、三好宗渭...

2021.06.01 04:28

「大航海時代の日本」8 織田信長VSイエズス会(2)

 信長がイエズス会を利用したのは軍事物資調達面だけではない。宣教師の信徒への影響力も天下統一事業の過程で活用する。代表例は1579年の「高槻開城事件」。どんな事件か?戦国時代、仏教勢力の中心となったのは、大坂の石山本願寺。信長の最大の敵となり、10年に及ぶ死闘(1570年~158...

2021.05.31 01:17

「大航海時代の日本」7 織田信長VSイエズス会(1)

 『日本史』の著者として、現代日本人にもよく知られたイエズス会(ポルトガル人)宣教師ルイス・フロイス。彼は1563年に来日し、1597年に長崎で没するまで34年間、一度も日本を離れることなく、生涯を日本での布教に尽くした。イエズス会総会長から日本におけるイエズス会の活動を記録する...

2021.05.30 04:29

「大航海時代の日本」6 大友宗麟

 周囲を敵で囲まれてイエズス会と共に生きようとした純忠は、1579年、イエズス会巡察師ヴァリニャーノに長崎(1570年に開港)の寄進を申し入れる。きっかけは、純忠が龍造寺隆信と戦うために、宣教師から軍資金として銀百貫文を借り受け、その時の所領の一部をその担保としたことだったようだ...

2021.05.29 04:24

「大航海時代の日本」5 コスメ・デ・トルレス

 ザビエルが日本において実際に布教活動を行ったのは、わずかに2年3カ月にすぎない。そして、ザビエルが去ったのち、日本宣教の大任を担ったのは、コスメ・デ・トルレス。トルレスのもとで日本イエズス会は豊後に地歩を築き、肥前で強力な基盤を獲得し、畿内に確固たる橋頭保を得た。彼こそ日本開教...

2021.05.28 05:23

「大航海時代の日本」4 イエズス会士

 当初、アジアの富をヨーロッパにもたらすことを目的としてアジアをめざしたポルトガルは、やがてアジア内の貿易に仲介者として参入することに活路を求めるようになる。その仲介貿易のメインが日本貿易だった。ポルトガルは中国の絹を日本にもたらす際に仕入れ値の4,5倍で売り、さらに日本銀を中国...

2021.05.27 00:09

「大航海時代の日本」3 平戸

 1543年、ポルトガル人をのせたジャンク船が漂着したのは種子島。1548年、ザビエルがヤジロウ(薩摩国あるいは大隅国出身とされる)の案内で上陸したのは薩摩半島の坊津。しかし1550年、ポルトガル船が最初に入港したのは平戸であり、長崎に移るまで平戸がポルトガルとの交易の拠点となる...

2021.05.24 23:05

「大航海時代の日本」2 ポルトガルと日本の出会い

 日本が初めて出会ったヨーロッパ国家はポルトガル。1543年、種子島へポルトガル人が漂着し鉄砲が伝来し、1549年にはポルトガル系のイエズス会士フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しキリスト教が伝来した。1550年には平戸にポルトガル船が入港し、領主の松浦隆信がキリスト教を保護し...

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