「大航海時代の日本」2 ポルトガルと日本の出会い

 日本が初めて出会ったヨーロッパ国家はポルトガル。1543年、種子島へポルトガル人が漂着し鉄砲が伝来し、1549年にはポルトガル系のイエズス会士フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸しキリスト教が伝来した。1550年には平戸にポルトガル船が入港し、領主の松浦隆信がキリスト教を保護したことから、5年後には信徒が500人を超え、1561年には90人のポルトガル人が平戸にいたという。

 まず、ここで注意したいのはザビエルとポルトガルの関係。イエズス会宣教師ザビエルは、スペインのナバラ王国生まれのスペイン人(バスク人)でポルトガル人ではない。その彼が「ポルトガル系」とはどういうことか?これはポルトガルのアジア進出とザビエルが属するイエズス会によるアジアの布教活動の関係に関わる。ポルトガルは航海・征服・植民・貿易といった世俗的事業を進め、一方イエズス会はそこの住民の改宗を目的とするものであったが、このような本来全く異質な聖・俗二つの事業がポルトガルの国家事業として進められ、しかもそれがローマ教皇の精神的権威によって正当化されていた。そして17世紀に入るまでは、ローマ教皇によるイエズス会の支援は精神面によるものにとどまり、実際の布教は、主としてポルトガル王室の保護を得て、その事業の一翼を担う形で進められた。

そして、当時のカトリック布教事業をこのように性格づけたのは、「布教保護権」の制度である。どのような制度か?ローマ教皇は、ポルトガル・スペイン両国王室に対して新発見地での布教の推進とその経済的負担を義務付ける反面、司教区の設定や司教以下重要な教会聖職者の推薦等、そこの教会の行政・人事を掌握する権利を両国王室に与えた。そしてローマ教皇がこの保護権を両国王室に段階的に与えていったのと並行して、航海・征服・植民・貿易といった世俗的事業をそれぞれの領域で独占的に進める権限をもこれに与えた。それは、異教を撲滅しキリスト教世界の拡大に貢献するポルトガル・スペイン両国王室への恩典としてだが、ローマ教皇によってその事実が正当化され、権威づけられた意義は大きい。

 ところで日本について見ると、わが国へのポルトガル人の渡来といい、ザビエル以下ポルトガル国王の手厚い保護を得たイエズス会士によるキリシタン布教と言い、その始まりは偶然によるところが少なくなかった。しかしそれが一旦軌道に乗ると、事実上日本は貿易と布教の面からポルトガルの領域に入り、教皇もそれを追認している。このようにしておよそ半世紀経過するが、16世紀末になるとスペインの勢力もフィリピンを拠点にして日本に及び、その後両国の勢力の間で激しい角逐が展開することになる。

 では、ポルトガルは日本をどのように見ていたのか?マラッカを制し、モルッカ諸島を押さえたポルトガルが、やがて北上して日本に至るのは時間の問題と考えられるかもしれない。しかし、彼らは香料を求めて東南アジア多島海へ足を踏み入れたのであって、中国への関心も薄く、まして日本についてはその位置もよく知らなかった。そんなポルトガルが、マラッカで中国人と接触したことがきっかけとなり、中国へ関心を抱く。ポルトガル人は、南シナ海に進出して明国商人と密貿易を行い始める。彼らは明国政府との正式貿易を希望したが、マラッカでの悪行(マラッカを激しく攻撃して王家を追い出し、同地にいたアラブ人ムスリム商人[キリスト教徒と対立する存在であったし、香辛料貿易のライバルであった]を全員殺害した)を知られたことから許可されなかった。そのためポルトガル船長が広州の珠江入口の島を占拠して要塞を築いたが、明国の軍隊に排撃された。その後も密貿易を続けていたが、1552年、広州湾に来たポルトガル艦隊の司令官が明国政府の要請を受けて、沿岸を跋扈(ばっこ)していた明人倭寇を排除したことから、マカオへの上陸を許された。そして1557年には明国政府から居留を認められる。ポルトガルはここに要塞を築いて、貿易やイエズス会による布教の拠点とした。

 ポルトガル人が種子島に到着するのはこれより前の1543年。南シナ海で密貿易を行っていた頃だ。この時ポルトガル人が乗っていたのはジャンク船(中国商人が利用した三本マストで角形の帆が特徴の木造船)

で、その持ち主は倭寇の首魁である明人の王直(おうちょく)だった。

「ポルトガル海上帝国」 1410年(セウタ占領)から1999年(マカオ返還)までにポルトガルが領有したことのある領域(赤)

ボム・ジェズ教会 ゴア フランシスコ・ザビエルの亡骸が保存

ポルトガル要塞跡 マラッカ

フランシスコ・デ・アルメイダ ポルトガルの初代インド総督

アフォンソ・デ・アルブケルケ ポルトガルの2代インド総督 ゴア、マラッカを占領

リスボンのアフォンソ・デ・アルブケルケ広場にあるアルブケルケ記念碑

「王直像」平戸

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