2021.12.27 11:36「海洋国家オランダのアジア進出と日本」9 『オランダ風説書』②イングリッシュ・ブレックファストと言えば紅茶。イギリスに紅茶文化がひろまったのはポルトガルからジェームズ2世に嫁いだ(1662年)一人の王女による。その名は、キャサリン・オブ・ブラガンザ。彼女が、持参金がわりにイギリスにもたらしたのが、植民地ボンベイと大量の中国茶だった。宮廷内で...
2021.12.26 04:50「海洋国家オランダのアジア進出と日本」8 『オランダ風説書』① 日本人の海外渡航を禁じていた江戸幕府にとって、最新の世界情報を知るほぼ唯一の情報源だったのが「オランダ風説書」。長崎出島を舞台に、鎖国の200年間、このオランダによる世界情報の提供は毎年続けられた。このように、世界中の情報を200年以上にわたり定期的に報じ続けたメディアは「オラ...
2021.12.24 12:01「海洋国家オランダのアジア進出と日本」7 交易のメリット オランダ船は日本で需要の大きい中国産の生糸を台湾経由で日本に持ち込み、その対価として大量の銀や銅を日本から持ち出し、それを使って東南アジアやインドで、香辛料や綿布、硝石などを買い、本国に持ち帰った。日本が鎖国体制に入った1640年代以降はオランダ東インド会社の経営は安定し、毎年...
2021.12.23 04:57「海洋国家オランダのアジア進出と日本」6 出島オランダ商館 出島は、縦65メートル、横190メートルの扇形で、面積は1.3ヘクタール。東京ドームのグラウンド面積に等しい。1634年に建造に着手し、36年に完成したが、建造を請負ったのは、長崎、博多、京都、大坂、堺などの豪商25人で、多くは長崎を拠点とする朱印船貿易に携わっていた。オランダ...
2021.12.22 04:29「海洋国家オランダのアジア進出と日本」5 平戸オランダ商館 ポルトガル船の追放にはいくつか解決しなければならない問題があった。第一は必要物資の供給である。当時、生糸などの商品は需要の多くを輸入に頼っており、ポルトガルも大きなシェアを占めていた。したがって、ポルトガル追放による生糸供給の減少をどのように乗り切るか。第二は、追放されたポルト...
2021.12.20 04:32「海洋国家オランダのアジア進出と日本」4 島原の乱 オランダとの交易というと外国の珍しい文物が数多くもたらされたというイメージを抱きがちだが、それらの貿易額全体に占める割合は微々たるものであった。オランダ商館で、日本に持ち込む商品の8割以上は中国産の生糸を中心とした反物類であり、反対に日本から持ち出すものの8割以上は銀であった。...
2021.12.19 01:16「海洋国家オランダのアジア進出と日本」3 イギリス撤退 イギリスはせっかくのアダムズの貴重な情報を活かさなかった。どういうことか?イギリス東インド会社の幹部は、1610年頃から日本の渡航を考えており、家康の側近のアダムズも自国人の日本進出を望んでいた。すでに日本の事情に詳しいアダムズは、平戸が日本の西端にあって連絡に不便であること、...
2021.12.18 01:13「海洋国家オランダのアジア進出と日本」2 徳川家康 大坂城でアダムスらを引見した五大老首座の徳川家康は、執拗に処刑を要求するポルトガルの宣教師らを黙殺。数回の下問ののちアダムズを外交顧問として重用し、江戸日本橋に屋敷を、また相模三浦郡逸見(へみ)に250石の知行地を与えた。三浦に領地を持つ水先案内人、つまり三浦按針である。家康は...
2021.12.17 05:43「海洋国家オランダのアジア進出と日本」1 1600年 出会い 日本とオランダの関係史について司馬遼太郎はこう書いている。「日蘭交渉は関ヶ原のとしの慶長5年(1600)にはじまり、その後、江戸日本の鎖国のあいだ、幕府は長崎港において清国とオランダとのみ貿易をおこなってきた。鎖国された日本社会を一個の暗箱とすれば、針で突いたような穴がいわば長...
2020.10.24 01:02「平戸・長崎三泊四日」13 10月6日長崎(8)勝海舟⑤ 万延元年(1860)1月22日、「日米修好通商条約」の批准書を交換するため、総勢77人の遣米使節を乗せたポーハタン号(1854年、吉田松陰が密航を企て海岸につないであった漁民の小舟を盗んで下田港内の小島からポーハタン号に漕ぎ寄せ乗船したが拒否された。また、1858年の日米修好通...
2020.10.22 00:48「平戸・長崎三泊四日」12 10月6日長崎(7)勝海舟④ 勝は『海舟座談』の中で「おれは女郎買いはしなかった」と言っているが、そんなこともしなくていいように、ちゃんと女がこしらえてあった。「お久[ひさ]」(梶 玖磨[くま])。この時14歳で、すでに未亡人。その家は西坂にあって、二十六聖人記念教会のそばにあり、今も梶家ゆかりの子孫が住ん...
2020.10.21 10:02「平戸・長崎三泊四日」11 10月6日長崎(6)勝海舟③ カッテンディーケはオランダのハーグ生まれ。海軍兵学校を出て、フリーゲート艦「マース」号で西インド諸島、東インドに勤務、1839年大尉となりフリーゲート艦「レイン」艦長として大西洋を巡航。その後、オランダ国王ウィレム3世の侍従武官となり、41歳で「ヤッパン」号で来日。滞在中、中佐...