2022.09.19 06:22「モーツァルト『フィガロの結婚』の誕生」第2回 モーツァルトと啓蒙専制君主ヨーゼフ2世 啓蒙専制君主ヨーゼフ2世とは、どのような皇帝だったのか?また、モーツァルトの人生とどう関わったのか?
2020.01.12 04:42「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」16 モーツァルトの恋と結婚② オペラ『フィガロの結婚』は、上演許可を得るためにボーマルシェ『フィガロの結婚』の社会風刺、貴族批判の側面を弱め、人間の愛と欲望のドラマに仕立てたが、なんと言っても愛や恋の苦しみ、喜びを歌いあげるアリアが素晴らしい。もっとも有名なのは第2幕第2景でケルビーノ(アルマヴィーヴァ伯爵...
2020.01.07 04:14「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」15 モーツァルトの恋と結婚① コンスタンツェはウェーバー家の四人姉妹の三女。実はモーツァルトが最初に好きになったのは次女のアロイージアだった。話はモーツァルトがコロレド大司教に最初の辞職願を出し母親とともに求職のために出かけたパリ旅行(1777年10月~1779年1月)にさかのぼる。ミュンヘンでの就職に失敗...
2020.01.06 03:06「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」14 ウィーン③ ボーマルシェが『フィガロの結婚』を完成させたのは1778年のこと。1781年9月には、興行成績が上がらず、局面打開を狙っていたコメディ・フランセーズの上演作品決定委員会は満場一致で『フィガロの結婚』受理を決めた。自信をつけたボーマルシェは検閲申請を行う。判定は非常に好意的で、全...
2020.01.05 00:41「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」13 ウィーン② 1782年の春には作品は完成に近づいていた。それにもかかわらず、上演予定が決まらなかったのはイタリア派の妨害が原因だったようだ。オペラシーズンも終わってしまうが、7月16日に初演される。皇帝ヨーゼフ2世の命令による、特別の上演だった。初演は大成功。ここでも妨害工作があって、初日...
2020.01.04 08:05「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」12 ウィーン① モーツァルトの自立決断の背後には、もちろん「ウィーンでやっていける」という自信があった。「断言しますが、当地は素晴らしい土地ですし、それにぼくの仕事にとってはこの世で最上の場所です。・・・ぼくも当地が好きだし、もちろんそれを力の限り利用してみます。」(1781年4月4日付父宛手...
2020.01.02 01:10「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」11 モーツァルトとコロレド大司教③ 己の才能と努力によって人生を切り開いていこうとする人間にとって、身分と家柄によって決定づけられる社会がもたらす苦痛、ストレスはどれほど大きかったことか。ボーマルシェが『フィガロの結婚』の中でフィガロに吐かせた次のセリフはモーツァルトがコロレド大司教に抱いていた気持ちそのものだっ...
2020.01.01 01:46「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」10 モーツァルトとコロレド大司教② 1780年の夏、思う存分才能を発揮できないザルツブルクで、欲求不満が鬱積していたモーツァルトを舞い上がらせる報せがミュンヘン宮廷から来る。1781年の謝肉祭シーズンのオペラの作曲依頼だ。台本は『クレタの王イドメネオ』。モーツァルトは秋から作曲を始め、11月5日、心弾む思いでミュ...
2019.12.31 01:53「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」9 モーツァルトとコロレド大司教① 亡きザルツブルク大司教シュラッテンバッハはモーツァルト父子の最大の理解者だった。宮廷楽団副学長の地位にあったレオポルトが、わが子を連れて長期間にわたる旅に出られたのも、シュラッテンバッハの寛大な許しがあってのことだった。しかし新たに就任したコロレド伯爵は前任者とはまるで違い、お...
2019.12.30 05:00「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」8 モーツァルトとミラノ モーツァルトが生きていた18世紀、音楽家たるもの、オペラを書かなきゃ一人前ではなかった。そして18世紀のヨーロッパで音楽の本場と言えばイタリア。オペラをはじめとするイタリア音楽はヨーロッパ中に拡がり、宮廷楽団や歌劇場では、どこへ行ってもイタリア人の楽長や作曲家、演奏家たちが幅を...
2019.12.28 23:35「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」7 プラハの反応 初演以降、ウィーンでの《フィガロの結婚》は不思議なくらい上演回数が伸びていない。一応の成功を収めたとは言えようが、その頃から、ウィーンの貴族たちはモーツアルトという音楽家に背を向け始める。モーツァルトは、ウィーンでの行き詰まりを予感して現状打開を図ろうとしたのか、《フィガロ》初...
2019.12.27 01:03「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」6 ウィーンの反応 ダ・ポンテは初演の反応をこう書いている。「モーツァルトのオペラが上演されると、ほかの作曲家連中とそのファンたちの『まあ、観てみるか』、『まあ、聴いてみるか』と斜に構えた態度にもかかわらず、ローゼンベルク伯爵、カスティなどの何千もの悪魔のようなやからさえ含めて、作品は全般に気に入...