「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」6 ウィーンの反応

 ダ・ポンテは初演の反応をこう書いている。

「モーツァルトのオペラが上演されると、ほかの作曲家連中とそのファンたちの『まあ、観てみるか』、『まあ、聴いてみるか』と斜に構えた態度にもかかわらず、ローゼンベルク伯爵、カスティなどの何千もの悪魔のようなやからさえ含めて、作品は全般に気に入られ、皇帝や本当に識別能力のある人たちからは、比類なく美しい、神の技のような作品だと評価された。」

 「何千もの悪魔のようなやから」とは何か。妨害工作を行った反対派のことだ。皇帝ヨーゼフ2世から上演許可が得られたとはいえ、『フィガロの結婚』の成功はたやすく勝ち取れたものではなく、さまざまな妨害をはねのけなければならなかった。最初のモーツァルト伝の作者ニーメチェク(彼の伝記はモーツァルト夫人コンスタンツェ・モーツァルトの記憶、証言に基づくところが多い)はこう記している。

「人々のもっともらしい噂を信じるとすれば、とはいえ信頼できる証人が何人もいるので疑うわけにもいかないのだが、この初演の時、失敗に終わるようにとあらかじめ歌手の何人かが憎悪と嫉妬から下品で卑劣な陰謀をたくらみ、全力を傾注してこのオペラを台無しにしようとしたといわれる。これがほんとうなら、このときの歌手や作曲家の一派がモーツァルトの抜きんでた天才をどれほど恐れていたか・・・を理解していただけることと思う。無益で意志薄弱なこのようなやからは、この不滅の芸術家が若くして逝ってしまうまで、ありとあらゆる手段を尽くしてこの芸術家を憎み、また拒み、その作品をおとしめ続けたのである。完全な勝利を勝ち得るまで、モーツアルトの精神はどれだけの闘いに耐えなければならなかったのだろう!」

 成功について詳しく記録しているのは、初演でドン・バジリオとドン・クルツィオの役を演じたマイケル・オケリー。フルオーケストラとの最初の試演の様子をこう述べている。

「ベヌッチ(ケルビーノ役)が一番美しい聴かせどころ〈ケルビーノ、いざ勝利に向かえ、軍人の栄光へ〉を、まさに割れ鐘のような大音声でうたったので、あたりに電撃が走ったような効果を醸した。すると舞台上の出演者全員、オーケストラのメンバー全員が、恍惚とした感情に揺さぶられて口々に叫んだ。『ブラヴォー、ブラヴォー、マエストロ!ヴィヴァ、ヴィヴァ、グランド・モーツァルト!』。僕は演奏者たちが喝采をやめないつもりなのではないかと疑った。彼らはそう思わせるほど激しく力を込めて、ヴァイオリンの弓で譜面台を叩いたのだ。小さなマエストロは、みんなのとどめようもない熱狂と感激のありさまに、何度もお辞儀をして感謝を伝えた。

 同様の拍手の嵐が第一幕の(原注:正しくは第二幕)フィナーレの後に繰り返された。この作品だけでも、もし彼がそのほかにはなにもよいものを作曲しなかったとしても、僕のささやかな見解では、モーツァルトは音楽芸術の巨匠の資格を得たと思われる。」

 そして、初演時の反響についてはこう記している。

「幕が降りても、観客は万雷の嵐のような拍手を治める気配はなく、何度もモーツァルトを舞台に呼び出した。歌曲のすべてがアンコール演奏されたので、演奏時間は通常のオペラの二本分に達するほどだった。それで皇帝が、第二公演ではどの曲も繰り返してはならないとお決めになったのだと思う。モーツァルトの《フィガロの結婚》を超える空前絶後の完璧な勝利は見たことがない。満員御礼になったあちこちの劇場がその証しである」

 確かに初演は成功し、年内に9回の再演も記録された。しかし、この年の12月にマルティン・イ・ソレールの《椿事》が舞台にかけられるや、民心はたちまちモーツァルトを離れる。《フィガロ》とその作曲家が絶賛の嵐の中で時代の寵児となっていくのはこのあと、プラハ上演を果たした時である。

2016ウィーン国立歌劇場日本公演「フィガロの結婚」

作者不明「モーツァルト」

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