「オペラ『フィガロの結婚』の誕生」16 モーツァルトの恋と結婚②

 オペラ『フィガロの結婚』は、上演許可を得るためにボーマルシェ『フィガロの結婚』の社会風刺、貴族批判の側面を弱め、人間の愛と欲望のドラマに仕立てたが、なんと言っても愛や恋の苦しみ、喜びを歌いあげるアリアが素晴らしい。もっとも有名なのは第2幕第2景でケルビーノ(アルマヴィーヴァ伯爵の小姓)の歌うアリエッタ「恋とはどんなものかしら」だろう。

     「・・・こんなことは僕には初めて、それでこれが何か分かりません。

         僕はこんな思いを感じています、何かが欲しくて仕方ないような、

        それでこれは時に喜び、また苦しみです。

         僕は身が凍り、でもまた感じます、魂が燃え上がるのを、

        そして一瞬のうちに、また身が凍ります。

         僕は幸せを探し求めています、自分のそとの誰かに、

        でも誰がそれを持っているのか、それが何か分かりません。

         僕は溜息し、嘆きます、そうするつもりなしに、

        胸高鳴らせ、震えます、知らないうちに。

         僕は安らぎがありません、昼も夜も、

        けれどそれが楽しいのです、こうして思い悩むのが。・・・」

 しかし、一番好きなのは第3幕第8景でアルマヴィーヴァ伯爵夫人が心変わりした夫への想いを切々と歌いあげるアリア。歌詞以上にモーツアルトの曲がその思いを伝えてくれる。

 「どこなのでしょう、あの美しいときは、甘さと喜びのあるあの時は、

  どこへ行ったのでしょう、あの誓いは、偽りの唇がなしたあの誓いは?

  一体なぜ、涙と苦悩のうちに 私にとってすべてが変わってしまったのに、

  あの幸せの思い出は この胸から去りゆかなかったのでしょう?

  ああ!せめても私の真心が、いつも愛しつづけながら思い悩むなかで、

  希望をもたらすことになってくれたなら、あの無情な心を変えられるという希望を。」

 また、第4幕第8景では、フィガロが婚約者スザンナを信じきれない思いをレチタティーヴォで「おまえは俺にとってどれほどの苦悩となるのだ、その純な顔をして・・・その罪のない目をして・・・ああ、何と、女を信用するのはいつとて狂気の沙汰だ。」と語った後、次のアリアが続く。

       「少しばかりその目を開け、うかつにして愚かな男たちよ、

        この女どもを見るがいい、どんなものかを見ることだ! 

        こんなものをあんたらは女神と呼ぶ、迷い惑った情欲によって、

        こんなものに香を焚く、頼りない脳味噌は、女は魅惑する魔物だ、

        俺たちを苦しめようとして、歌う人魚だ、

        俺たちを溺れさせようとして、誘って騙すふくろうだ!

        俺たちの羽を引き抜こうとして、輝く箒星だ、

        俺たちの光を奪おうとして、棘のあるバラだ、愛嬌ふりまく狐だ、

        慈愛あふれる熊だ、悪意ある鳩だ、騙しの名人だ、苦悩の友だ、

        これらはとぼけ、嘘をつき、愛を感じず、憐れみを感じない、

        このほかは言わぬ、もう誰しも知っている。」

 『フィガロの結婚』には、モーツァルト自身の体験が色濃く反映されている。この体験が、モーツァルトの空前の作曲技法と結びつき、そのレベルをさらに発展、深化させることで、不滅のオペラ『フィガロの結婚』は誕生したのだ。

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