2021.08.19 04:12「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」11 公妾マントノン夫人③ ルイ14世が、ナントの勅令を廃止(1685年)した背後に、秘密裡に結婚したマントノン夫人の影響を見る説(「マントノン夫人黒幕説」)は根強い。例えば、『ブルボン家の落日』(戸張規子)。「敬虔なカトリック信者であるマントノン夫人の助言で、宗教にはほとんど無関心だったルイ14世の信仰...
2021.08.18 00:50「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」10 公妾マントノン夫人② 夫に先立たれ未亡人としてひっそり暮らしているスカロン夫人を、子供たちの養育係として選んだのはモンテスパン夫人自身だった。未亡人が知識人(詩人で博学だった夫スカロンから豊富な知識を得た)で、控えめで、しかも美人でないことを知り、安心して子どもを任せられると思ったからだ。スカロン夫...
2021.08.17 01:16「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」9 公妾マントノン夫人① モンテスパン夫人に関する正式の調査は行われなかった。尋問も全くなかった。ルイ14世がそれを拒否したのだ。夫人はルイ14世の6人の子供たちの母親である。しかも、6人とも国王によって正式に認知されている。その母親を罪人にするわけにはいかない。それ以上に、そうした女を愛妾にしていたこ...
2021.08.16 00:54「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」8 公妾モンテスパン夫人② 「フランスには三人の王妃がいるのさ」 ルイ14世はふたりの愛妾(ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールとモンテスパン夫人)のどちらも失いたくなかった。そのため国王は、王妃とふたりの愛妾にとりかこまれて暮らすようになったのだ。1669年3月、モンテスパン夫人は待望の国王の子どもを生む。し...
2021.08.15 00:10「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」7 公妾モンテスパン夫人① モンテスパン夫人の容姿は飛びぬけて素晴らしかった。公爵の称号をもち宮廷に出入りしていた作家サン・シモンは「まばゆいばかりに美しい」と語り、ラ・ファイエット夫人は「けっして感じのいい人ではないけれど、申し分のない完璧な美貌の持ち主」と、ため息をついていた。性格は、ルイーズ・ド・ラ...
2021.08.13 01:48「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」6 公妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール② 幼い時からルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールとともに育ったラ・ベ・ド・ショワズィは、その『回想録』の中で、ルイーズを次のように描いている。「そして優しさ、その美貌にまさる優しさ、というラ・フォンテーヌの詩は、彼女のために書かれたものと思われる。彼女は美しい肌の色、ブロンド髪で、眼は...
2021.08.12 00:43「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」5 公妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール① フランスの歴史をいかにもフランスらしく華やかで艶やかに彩っている存在「公式愛妾(公妾)」。フランス史上最初の公式愛妾になったのはアニェス・ソレル。あのジャンヌ・ダルクによってランスで戴冠し、百年戦争を終結させたシャルル7世の公妾。どのようにしてこの制度は生まれたのか? ジャンヌ...
2021.08.11 01:18「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」4 王弟妃アンリエット・ダングルテール ルイ14世は、貴族を飼い慣らすためにヴェルサイユを造営し、そこに宮廷を移したが、最初からそのような構想を持っていたわけではない。ヴェルサイユの地で工事が始められたのは1661年であり、ルイ14世が時宜を見て権力機構のすべてをヴェルサイユに移転させるとの決定を下したのは、それから...
2021.08.10 01:23「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」3 エチケット ルイ14世の目標はフランス貴族の最高の人士を意のままに操縦すること。そのためには、単に彼らをヴェルサイユに強制移住させるだけでは十分ではなかった。貴族たちに過ぎし日を想うゆとりをあたえず、職務に専念させる必要があった。そのために彼らに課せられたのが、苛酷なばかりの厳しい「エチケ...
2021.08.09 01:27「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」2 トラウマ 徳川政権にとって、天下泰平の世を継続する上で大名統制がキーだったように、ルイ14世にとって貴族支配こそ中央集権国家、強力な軍事大国を実現する上で最重要課題だった。そこにはトラウマと言っていい強烈な幼児体験が存在した。16世紀後半の「ユグノー戦争」と1789年の「大革命」に次ぐフ...
2021.08.08 04:04「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」1 大貴族の飼い慣らし 「移動式の宮廷」ヴェルサイユ宮殿というのがフランス王家の伝統だった。国王の赴くところすべてに王家、王族の人々、政府要人、侍従、主治医、料理人、そして愛人までがついていく。16世紀においても、フランス宮廷はいまだ定住地を持たず、よい季節の時にはイル・ド・フランス地方やロワール河沿...
2018.09.14 01:16「太陽王ルイ14世」⑫ナントの勅令廃止 ルネサンス以降のヨーロッパ史を見ていて感じるのは、優れた政治家、統治者かどうかを分ける基準のひとつがその宗教政策にあるということ。エリザベス1世、カトリーヌ・ド・メディシス、リシュリューなど冷徹なリアリストたちは、自らの信仰にとらわれることなく国家利益の観点から宗教政策を展開し...