「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」5 公妾ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール①
フランスの歴史をいかにもフランスらしく華やかで艶やかに彩っている存在「公式愛妾(公妾)」。フランス史上最初の公式愛妾になったのはアニェス・ソレル。あのジャンヌ・ダルクによってランスで戴冠し、百年戦争を終結させたシャルル7世の公妾。どのようにしてこの制度は生まれたのか?
ジャンヌの火刑の後、シャルル7世はブルゴーニュ派との和平交渉を進め、1435年にはブルゴーニュ公フィリップとの間で「アラスの和約」を結び、内乱を終結させる。それによってブルゴーニュ派とイギリスの同盟は破棄され、百年戦争の終結への前提が作られた。国王になって15年後の1444年、41歳になったシャルル7世のもとを妻マリーの姉イザベルとその夫ナポリ王ルネ・ダンジュが訪れる。彼らに同行していた侍女の一人がアニェス・ソレル。このときアニェス24歳(22歳という説もある)。とびきりの美女で、ずば抜けて知的だったと言われる。シャルルは瞬く間に彼女に魅せられてしまった。彼女をどうしても自分のそばに引き留めておきたいシャルルは、王妃マリーの侍女にする。それからというもの、ベッドにも、食卓にも、散歩にも、側近との会合にも彼女の同行を求めた。
シャルルは溺愛する愛妾と幸せに満ちた生活を送っていた。しかし、唯一の悩みがあった。それは、どんなに愛していても愛妾は公式の場には同伴できない、ということ。公式の場に同伴できるのは王妃だった。アニェスと一時も離れていられない王が悩みぬいた末に考え付いたのが「公式愛妾」制度。何とも奇妙に映るが、こうすることでアニェスは日陰の存在ではなくなり、公式の場にも正々堂々出席することができるようになった(もちろん王妃やその家族からすれば疎ましい存在だったろうが)。国王の結婚は政略結婚であり、王妃の最重要の役目は後継者を生むこと。恋愛結婚などありえない。それに対して、公式愛妾は肉体的にも精神的にも自分好みの女性を選べる。事実上のファースト・レディ。フランス歴代の国王はこの好都合な制度を取り入れる。いかにもフランスらしい制度。
話をルイ14世に戻そう。ルイとアンリエットの燃え上がった恋は、舞踏会、観劇、夜会、どの席でも、二人はもはや人目を気にすることをやめてしまった。ヴァイオリン弾きを従えての舟遊び、そして夜の散歩では、朝の3時、4時まで、二人の姿が夜の暗闇に消えてしまうことも珍しくなかった。息子と次男の嫁のそんな姿に、密かに心を痛めていたのは母后アンヌ・ドートリッシュ。彼女はアンリエットと息子の恋愛も理解できた。なんといってもアンリエットは才気煥発で、人あしらいがうまい。社交界の華になるために生まれてきたような女性であり、まわりの人間を魅了し、楽しい気分にさせる天賦の才に恵まれている。フランス語も覚束ない王妃とでは、話がはずまず、息子が退屈なだけであることも十分に承知している。多方、次男フィリップには特別な趣味(男色)があり、夫に省みられない妻アンリエットの苦悩も理解していた。しかし、母后は、なによりも王妃に気を遣った。王妃の郷は自分の実家でもある。やっとのことで成立したスペインとの和平に水をさすようなことは、夢あってはならない。王妃の後ろにはスペインが、アンリエットの後ろにはイギリスが控えている。母后は面倒な事態だけは避けなければならないと考えた。
彼女はルイとアンリエットをそれぞれに呼んで注意をする。それに対して、アンリエットはなんとも奇抜な結論を出した。二人だけの密会だから人目をひき、非難を浴びる。二人を複数にすればよい。少なくともルイとアンリエットの間にもう一人女性を加えてカモフラージュして、ルイはそのカモフラージュの女に恋しているふりをすればよいではないか、と。
アンリエットは、さっそく年頃の女官たちを物色。すぐさま4,5人の少女が候補に浮かびあがった。その中でも、もっともめだたない控え目な少女、決して進んで国王に媚びを売ったりすることのない少女として白羽の矢がたてられたのがルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールだった。このとき17歳。女官として宮廷で働く女性でありながら、清純無垢という珍しい存在だった。
海外ドラマ「ベルサイユ」ルイ14世とアンリエット・ダングルテール
ジャン・フーケ「フランス王シャルル7世」
アニェス・ソレル
ジャン・フーケ「ムーランの聖母子」アントワープ王立美術館
聖母のモデルはアニェス・ソレル。片方の乳房を露わにしているが、これは一つのファッション。彼女はこのファッションを広めようとしたようだったがさすがに受け入れられなかったようだ。
ルーベンス「アンヌ・ドートリッシュ」カリフォルニア ノートン・サイモン美術館
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