2021.01.13 00:25「ベル・エポックのパリ」18 社会の大転換(7)鉄道と余暇②コート・ダジュール パリ・リヨン駅が、リヨン鉄道の終着駅として営業が開始されたのは1848年。1857年にパリ‐リヨン線がリヨン‐地中海線と合併され、パリ(Paris)‐リヨン(Lyon)‐地中海(Méditerranée)鉄道、頭文字をとってPLM鉄道となったことから地中海方面への玄関口としてに...
2021.01.11 21:34「ベル・エポックのパリ」17 社会の大転換(6)鉄道と余暇①セーヌ西郊 19世紀は鉄道網が飛躍的な発展をみた「鉄道の世紀」だった。乱立していた鉄道会社が六大会社に整理され、それぞれ幹線を敷いてフランス全土を貫いてゆく。ことにパリ~ル・アーヴルを結ぶ西武鉄道とパリ~ニースを結ぶPLM鉄道(Chemin de Fer de Paris à Lyon e...
2021.01.10 21:39「ベル・エポックのパリ」16 社会の大転換(5)大衆新聞《Le Petit Journal》 1863年2月1日、フランス初の大衆日刊紙《プチ・ジュルナル》(Petit Journal)が一部5サンチーム(約50円)の定価で発刊された。創刊したのはモイーズ・ポリドール・ミヨー。ミヨーが通常の日刊紙の三分の一の5サンチームという価格を設定できたのは、それが政治、経済を扱わ...
2021.01.09 22:44「ベル・エポックのパリ」15 社会の大転換(4)電話 1876年に電話を発明したのはグラハム・ベルだが、それをクレマン・アデールは改良し、1878年のパリ万博で登場させた。そして1880年にはパリで最初の電話網を作り上げる(三つの民間企業による電話網)。1881年には「テアトロフォン」("Théâtrophone")を発明。これは...
2021.01.08 23:24「ベル・エポックのパリ」14 社会の大転換(3)デパート 1851年12月に権力を掌握して以来、ナポレオン3世は、商工業の振興には関税障害の撤廃が欠かせないというサン・シモン(フランスの初期社会主義者。経営者・労働者一体となった産業社会を構想)主義者たちの主張を容れ、関税率の引き下げに努めてきたが、わずかに、石炭、鉄鉱石といった一次産...
2021.01.08 01:02「ベル・エポックのパリ」13 社会の大転換(2)トラムウェイ パリの公共交通機関は街中をくまなく網羅し、世界の大都市の中でも特にわかりやすく、便利であることで知られている。25年近く、ほぼ毎年パリを訪れたが、主に利用したのはバス。時間はかかってもパリの街なみが楽しめるから。少し足を延ばす時や急ぐ時やバスの本数が極端に減る休日はメトロ。それ...
2021.01.06 23:14「ベル・エポックのパリ」12 エッフェル塔(2) モーパッサンは建設中のエッフェル塔を、「この鉄の椅子で作った、やせた、のっぽのピラミッド」、「巨大な醜い骸骨」と評し、「パリの面汚し」だと決めつけた。そのモーパッサンが、数年後には、エッフェル塔のレストランでよく食事をするようになる。なんでまた嫌いなエッフェル塔にわざわざ足を運...
2021.01.06 05:39「ベル・エポックのパリ」11 エッフェル塔(1) 街のどこからでも目に入るほどの高さを誇り、いまやパリの街の顔として風景の中に溶け込んでいるエッフェル塔。1889年に建造された高さ300mあまりのこの塔は、当時、世界で最も高い建造物だった。手掛けたのは芸術家でも建築家でもなく、鉄橋や橋の建設で知られた優秀な技術者、ギュスターブ...
2021.01.05 11:17「ベル・エポックのパリ」10 パリ万国博覧会 1900年のパリ万国博覧会には、世界中から5000万人の人が訪れた。万国博覧会は、1851年、ロンドンの「クリスタル・パレス」(水晶宮)に始まり、その後ヨーロッパ文明の首都ともいうべきパリで、世紀後半に規則的な間隔をおきながら(1855年、1867年、1878年、1889年、1...
2021.01.04 04:40「ベル・エポックのパリ」9 社会の大転換(1)ガス灯から電灯へ パリの街路照明に革命をもたらしたのは、1830年頃から公共用街灯として用いられるようになったガス灯である。とりわけ、19世紀中頃にグラン・ブールヴァ―ルがパレ・ロワイヤルから覇権を奪って盛り場の王者になる過程においては、このガス灯の整備で街路が室内の延長と見なされるようになった...
2021.01.03 01:44「ベル・エポックのパリ」8 戦争への道(2) 戦争は国内政治の矛盾を解決する一つの手段である。当時のヨーロッパで、この危険なギャンブルに賭ける状況に追い込まれていた国家は、複雑な民族問題を抱えるオーストリア=ハンガリー帝国と革命の脅威にさらされていたロシア帝国。フランスはイギリスとともにその状況から最もまぬがれていた。しか...
2021.01.02 01:20「ベル・エポックのパリ」7 戦争への道(1) フランスの海外植民地は19世紀前半まではイギリス、スペインに比べて小さい。アンシャン・レジームから引き継いだ西インド諸島や若干の貿易拠点のほか、1830年から征服の始まったアルジェリアがあるが、一貫した植民地戦略はなかった。第二帝政になると、国威をかけた海外進出が中東やアジアで...