「ベル・エポックのパリ」17 社会の大転換(6)鉄道と余暇①セーヌ西郊

 19世紀は鉄道網が飛躍的な発展をみた「鉄道の世紀」だった。乱立していた鉄道会社が六大会社に整理され、それぞれ幹線を敷いてフランス全土を貫いてゆく。ことにパリ~ル・アーヴルを結ぶ西武鉄道とパリ~ニースを結ぶPLM鉄道(Chemin de Fer de Paris à Lyon et à la Méditerranée)の伸びはめざましく、それぞれノルマンディー海岸とリビエラ海岸を売りものに大勢の旅客を運んでいた。海浜リゾートの時代が幕開けを迎えていたのである。

「どの駅より西駅[サン・ラザール駅]こそ最もパリらしい駅です。都会の真ん中の、きわめてモダンな一角にあって、ノルマンディーやブルターニュなど、あらゆるファッショナブルな沿岸地方に急行列車を走らせています。夏がくると、この駅には海の香りがただよいます。」(マラルメ『最新流行』)

 しかし、最新流行には縁遠い民衆層がよく使ったのは、セーヌ郊外の行楽の足としてのパリ‐サン・ジェルマン線(1837年開通)。アルジャントィユやアニエールなど、パリ西郊のセーヌ河畔の行楽地にはこの線が利用され、その発駅はサン・ラザール駅だった。急速な産業化が進む19世紀のパリ、地方の労働力を集めて人口は倍増し、1840年頃には200万人を突破。そうして仕事に明け暮れる人びとがほっと息をつくのが日曜日。天気の良い季節にはセーヌは人群でにぎわった。水辺の森で木洩れ日を浴びながら「草上の昼食」(ピクニック)は、「レジャーの時代」をむかえた人々が好んだ行楽の一つだった。特に庶民階級の若者たちはたいして金もかからないこの行楽を好んだ。

 恋人同士だけでなく家族連れも一家あげて郊外のセーヌにやって来た。モーパッサンの短編『野遊び』(ジャン・ルノワールが1936年に撮った映画『ピクニック』の原作。この映画は「印象派絵画を越える美しさにあふれた奇跡の映画」などと評される)には、金物商の一家が、年に一度の楽しみにと、知人の牛乳屋から馬車を借り、ピクニックに出かける様子が描かれている。

「シャンゼリゼの並木道を通り、マイヨ宮から城壁を越えると、そろそろ郊外の景色がひらけてきた。ヌイイの橋まで来ると、デュフール氏は言った。「さあ、いよいよ田舎だぞ!」・・・遥かに広がる地平線の光景に一同は感嘆の声をあげた。遠く、右手に見えるのはアルジャントゥイユの町だ。・・・橋の上はうっとりするほど素晴らしい。河は光を浴びて輝き、太陽に吸い上げられるように水蒸気が立ちのぼっていた。ひときわすがすがしい空気を吸うと、一同は生き返るような清涼感を覚え、心地よい安らぎを味わった」

 野と水と、その水に照り映える陽光。まさに印象派の風景が描いた世界。しかし、一行が到着した郊外は次のような光景も呈していた。

「太陽ははやくも頭上に照り付けてきた。もうもうと砂埃がたって、眼をふさぐ。道の両側には、臭いにおいのする、わびしく汚らしい田舎が、果てしもなく続いていた。まるで癩病にでもかかって、家屋迄病気にかかっているようだ。それというのも、破壊されたまま放置された建物の残骸や、請負師に未納のため工事の中途で終わっている小屋などが、屋根のない壁だけの姿をさらしているからだ。

 遠く、あちこちに工場の長い煙突が痩せ地に生えているのが、この汚らしい畑の唯一の野菜といった格好である。おまけに春風は、石油と片石の臭いと一緒に、それより快いとは言いかねる別の臭気を運んでくるのだった。」

 無秩序な開発にゆだねられたこの土地は、畑の間に工場が建てられ、煤煙と肥溜の臭いが共にただよっている。城壁のほど近くには巨大な工場が聳え立って黒い煙を吐き出している。そして、ここを流れてゆくセーヌもまたけっして澄んだ水ではない。アニエール(ジョルジュ・スーラ「アニエールの水浴」で有名))は第二帝政期にパリの汚水溝に使われ、1862年のコレラ禍の発生源の一つになったほどである。城壁の向うに拡がる郊外とはこのように田舎と産業の二つの要素が混在した無秩序な空間であったのだ。印象派の画家たちは決してあるがままの風景や風俗を描いたのではなかった。

映画「ピクニック」ジャン・ルノワール監督

映画「ピクニック」ジャン・ルノワール監督

モネ「草上の昼食」1865-66年 オルセー美術館

モネ「サン・ラザール駅」1877年 オルセー美術館

マネ「鉄道」1873年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

モネ「アルジャントゥイユの日曜日」1872年頃 オルセー美術館

モネ「アルジャントゥイユの橋」1874年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

モネ「アルジャントゥイユの赤いボート」1875年 オランジェリー美術館

マネ「アルジャントゥイユ」1874年 トゥルネー美術館 ベルギー

ルノワール「アニエールのセーヌ」1879年頃

ジョルジュ・スーラ「アニエールの水浴」1884年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー 遠方にクリシーの工場群が広がる

カイユボット「アルジャントゥイユの工場」個人蔵

アルマン・ギヨマン「イヴリー河岸の日没」1873年 オルセー美術館

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