「ベル・エポックのパリ」13 社会の大転換(2)トラムウェイ

 パリの公共交通機関は街中をくまなく網羅し、世界の大都市の中でも特にわかりやすく、便利であることで知られている。25年近く、ほぼ毎年パリを訪れたが、主に利用したのはバス。時間はかかってもパリの街なみが楽しめるから。少し足を延ばす時や急ぐ時やバスの本数が極端に減る休日はメトロ。それ以外では、シテ・ユニベルシテール(Cité Universitaire)近くのアパートを借りた時によく利用したのがトラムウェイ(Tramway)。T1からT4まで4つのラインがあり、パリ市の中心に比べメトロが網羅していないパリ郊外のエリアをカバーしている。

 パリにメトロが整備される以前は、多くのトラムウェイがパリ市内を走っていた。これらは1855年から1938年までパリ市内に(近郊のヴェルサイユ市内には1957年まで)存在した。これらの旧トラムは多くの会社によって設立され、その技術も馬から蒸気機関、圧縮空気機関、そして電力へと進化していった。

 最初は、二階建ての大型乗合馬車を軌道に乗せて、これを馬車が牽引する鉄道馬車の形をとっていた。ナポレオン3世の命を受けて、「オムニビュス」と呼ばれる二階建ての乗合馬車の路線整備に乗り出したのは、公共事業銀行「クレディ・モビリエ」(ナポレオン3世の社会改造、すなわち鉄道敷設や運河の開削、都市改造といった巨額の資金を必要とする大規模事業に、無担保で資金を提供するベンチャー・キャピタルの役割を果たした)をつくったユダヤ人銀行家のぺレール兄弟(エミール・ペレールとアイザック・ペレール。フランス経済を一気に高度資本主義の段階に乗せたとされる。ロスチャイルド家に対抗)。彼らは、1855年に11の乗合馬車会社を統合して「コンパニー・ジェネラル・デ・ゾムニビュス compagnie général des omnibus」(CGO)という半官半民の乗合馬車会社を設立した。これにより、パリの市域は満遍なく乗合馬車が走るようになり、それまで住民の不満の種だった街区による交通の便不便が解消された。

 第二帝政が1870年の普仏戦争で瓦解すると、CGOは独占を奪われ、一私企業として他の乗合馬車会社と競争を強いられるようになった。この馬車会社同士の競争は、1880年代に、蒸気や圧縮空気を利用した「トラムウェイ」(市内乗合鉄道)が登場するに及んで、一段と熱を帯びてきた。1902年には、12ものトラムウェイ会社が100の路線を運航させ、年間合計4億人の乗客を運んでいた。

 このトラムウェイ、会社によって、緑、赤、黒など様々な色に塗り分けられてあり、その色彩は、のちに人びとの記憶の中でパリの各街区のイメージと結びついた形で回想されるようになる。しかし、このトラムウェイでなによりも人々の印象に残っていたのは色彩よりも、むしろ、その音だった。すなわち、蒸気のトラムウェイは出発する時、まず灰色の煙をもくもくと吐きながら、ため息をつくようなシューという音を発し、それからようやく猫の唸り声のような音を立てて走り始めた。いっぽう、圧縮空気のトラムウェイは、まるで馬のいななきのような鋭い音で空気を二つに引き裂いて発進したが、こちらは煙は吐かなかった。

 人気路線では客車を何両も連結させていたが、通常路線では2階建ての単車両でまかなっていた。パリは四方を丘に囲まれた盆地なので、ベルヴィルやメニルモンタンの丘を登るトラムウェイは、ゼイゼイ荒い息を吐き、いまにも息絶えてしまうのではないかと思われたその瞬間、ようやく丘を登りきるのだった。反対に、丘を降りるときには、車体重の加速がくわわるので、ジェット・コースターもかくやの猛スピードになり、ブレーキもほとんど効かなかった。乗客は必死の思いで柱にしがみついた。

 このトラムウェイは、車輪と車体の間に緩衝器がなかったので、その振動は、乗合馬車よりもはるかにひどいものだった。乗客は、まるで、大きな石が転がっている河原の上を走っているような揺れに悩まされた。しかし、蒸気や圧縮空気利用のトラムウェイは、1907年からは、全面的に乗合バスに切り替えられてしまう。いったん失われてしまった後では、このトラムウェイのうるさい音もひどい揺れも、世紀末から20世紀初頭にかけてのベル・エポックの映像と一体となり、フランスが最も幸福だった時代の乗り物として、パリジャンの記憶にとどめられた。

シャルル・ジャラベール「エミール・ぺレール」

レオン・ボナ「アイザック・ぺレール」ヴェルサイユ宮殿

馬力トラム(鉄道馬車)

馬力トラム(鉄道馬車)

ヘンリー・ベーコン「平等」1889年 ブルックリン美術館   馬力トラム(鉄道馬車)

蒸気利用のトラムウェイ 1900年 

蒸気利用のトラムウェイ 1900年 

圧縮空気利用のトラムウェイ 1900年

圧縮空気利用のトラムウェイ 1910年

パリ市内を運行するトラム3号線

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