「ベル・エポックのパリ」16 社会の大転換(5)大衆新聞《Le Petit Journal》

 1863年2月1日、フランス初の大衆日刊紙《プチ・ジュルナル》(Petit Journal)が一部5サンチーム(約50円)の定価で発刊された。創刊したのはモイーズ・ポリドール・ミヨー。ミヨーが通常の日刊紙の三分の一の5サンチームという価格を設定できたのは、それが政治、経済を扱わない新聞だったから。どういうことかというと、当時、政治新聞には一部につき6サンチームの「検閲郵税」が課せられていたが、それを免除されたのである。初め発行部数は3万8千部にとどまっていたが、6か月後、レオ・レスペスがティモテ・トリムというペンネームで、一面の犯罪ルポルタージュを大衆受けする野卑な文体で書くようになってから発行部数は飛躍的に増加し、それまでは考えられなかった20万部という数字に達する。これは、従来、新聞とは無縁と考えられていた下層大衆にまで《プチ・ジュルナル》が受け入れられたということを意味していた。とりわけ。鉄道の普及により、草深い田舎までその日のうちに日刊紙を配達することができるようになった社会的背景が発行部数の増大に大きく寄与していた。その紙面はもちろん、通俗的なセンセーショナリズムに満ちていたが、これにより、とにかく下層階級は自分たちの日刊紙を持つことができるようになったのである。エミール・ゾラはこの新聞について次のように書いている。

「従来、新聞といえば、ある特定の読者のグループを購読者として持たぬ限り、成功はおぼつかないものとされていた。ところが、《プチ・ジュルナル》は、まさに、それまで自分たちの新聞というものを持っていなかった貧乏で無学な巨大な大衆をターゲットにしたのである。この新聞が新しい読者層をつくりあげたといわれるのも、理由のないことではない。こうした観点からみた場合、人々にさんざん馬鹿にされているこの新聞は一つの現実的な貢献を行ったといってよい。すなわち、民衆に字の読み方を教え、活字を読む趣味を与えたのである。」(エミール・ゾラ『パリの新聞』)

 1836年7月1日、広告収入に大幅に依存したフランス最初の日刊新聞《プレス》を創刊したのはエミール・ド・ジラルダンだが、それから26年たって、フランスはようやく新聞の大衆消費時代を迎えたのである。やがて《プチ・ジュルナル》に刺激されて、同じタイプの大衆新聞が次々と発刊され、新聞小説、多色刷りの煽情的な表紙(《プチ・ジュルナル》は1869年から絵入りの日曜版を発行)などの組み合わせによって発行部数を一桁増やし、フランスのほとんどの家庭が日刊紙を購読するという事態が生まれることとなった。なかでも、1869年に発生したトロップマンによる猟奇的な殺人事件の時には、《プチ・ジュルナル》は警察捜査と対抗して独自の調査活動を行って、部数を60万部にまで伸ばした。1890年代には、《プチ・ジュルナル》はついに100万部の大台に乗ることになる。

 ところで、世紀末のフランスにデカダンスの風潮が広がった原因の一つに、血なまぐさい犯罪が増加した事実をあげる研究者もいるが、実際に凶悪犯罪が増えたというよりも、凶悪犯罪を報道するセンセーショナルなジャーナリズムの数が倍増したといった方が正確なようだ。世紀末には、一部5サンチームの料金で100万部近い部数を刷る新聞が、《プチ・ジュルナル》をはじめ《プチ・パリジャン》《マタン》《ジュルナル》の四紙を数えたが、これらはいずれもセンセーショナルな事件中心の大衆紙で、猟奇的な殺人事件やスキャンダルが起きると、多色刷り石版のどぎつい絵入り日曜版を目玉にして、今日のワイドショー顔負けの過激な報道合戦を繰り広げ、部数拡大を競い合った。

 その結果、読者は、まるで毎日のように凶悪な犯罪が起きているような錯覚にとらえられ、「退化」「退廃」というイメージを自分たちの時代に対して持つようになったのである。凶悪犯罪と、それに対する大衆の興味は昔から存在していた。なかったのは、その両者を結びつける大部数のメディア。世紀末に起こったのは、潜在的にすぎなかった民衆の猟奇趣味が、薄利多売という資本主義のシステムを使って部数拡大に成功した大衆紙の登場で一気に顕在化したということである。

モイーズ・ポリドール・ミヨー

ティモテ・トリム

1891年10月10日『プチ・ジュルナル』 愛人の墓の前で自殺するブーランジェ

1892年4月16日『プチ・ジュルナル』   無政府主義者ラヴァショルの逮捕

1893年1月7日『プチ・ジュルナル』 クレマンソーとポール・デルレードの決闘

1899年8月27日『プチ・ジュルナル』 

 フェルナン・ラボリ(弁護士。ドレフュス事件で、ドレフュスを擁護)の暗殺未遂事件

キンク夫人と彼女の5人の子供を殺害するトロップマン

エミール・ド・ジラルダン

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