2019.08.21 01:48「ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂天井画」7 ミケランジェロのメッセージ④「預言者ヨナ」 システィーナ礼拝堂のミサに集う人々が祭壇を見上げると目に飛び込んでくるのが「預言者ヨナ」。今は、祭壇画「最後の審判」が描かれているためそちらに関心が集中するが、「ハマンの懲罰」、「青銅の蛇」以上にミケランジェロはこの「預言者ヨナ」に重要な位置を与えているようだがなぜだろう。絵画...
2019.08.20 01:40「ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂天井画」6 ミケランジェロのメッセージ③「青銅の蛇」 祭壇をはさんで「ハマンの懲罰」の反対側に描かれたのが「青銅の蛇」。こんな話だ。エジプトを脱出したイスラエルの民は、荒野での困難な旅に耐えられず、モーセや神に対する不平不満を口にし始める。民がエジプトで奴隷として苦しめられていたからこそ、神はモーセを遣わしてイスラエルの民を救出し...
2019.08.19 01:10「ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂天井画」5 ミケランジェロのメッセージ②「ハマンの懲罰」 エレミヤの苦悩は、教皇廟墓の仕事を中止させられ、いつ終わるとも知れない天井画の制作に従事させられるミケランジェロの苦悩。父親との確執、スペイン軍によるプラート劫略、フィレンツエの政情不安もミケランジェロを苛立たせた。「私は惨めな暮らしを送っています。果てしない労苦に擦り切れ、数...
2019.08.18 01:35「ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂天井画」4 ミケランジェロのメッセージ①預言者エレミヤ システィーナ礼拝堂は1477年から1480年にかけてユリウス2世の叔父のローマ教皇シクストゥス4世(イタリア度ではシスト4世、そこから「システィーナ」礼拝堂と名付けられた)によって建設された。高さ20.7m、奥行き40.9m、幅13.4m。これは『旧約聖書』の『列王記』6章にあ...
2019.08.15 01:01「ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂天井画」3 ラファエロ 自称ミケランジェロの弟子であり、ミケランジェロを直接知っていた人物がその時代に書いた伝記『ミケランジェロ伝』(ミケランジェロが78歳の時に出版)の著者アスカニオ・コンディヴィ。彼は、ユリウス2世が当初の自分の墓廟の計画を中止しシスティーナ礼拝堂の天井画をミケランジェロにやらせよ...
2019.08.14 02:16「ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂天井画」2 サン・ピエトロ大聖堂再建 教皇ユリウス2世は、ハドリアヌスやアウグストゥスといった古代ローマ帝国の皇帝廟に匹敵する規模の記念碑、史上空前の墓碑建立を構想。1503年の教皇選出直後から設計を開始していた。白羽の矢が当たったのは28歳の若きミケランジェロ。ユリウスは、サン・ピエトロ大聖堂内の礼拝堂で「ピエタ...
2019.08.13 00:55「ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂天井画」1「IL PAPA TERRIBILE イル・パパ・テッリービレ」 「システィーナ礼拝堂天井画」、この途方もない芸術作品をどう形容したらいいのだろう。 「システィーナ礼拝堂を見ないでは、一人の人間が何をなし得るかを眼のあたりに見てとることは不可能である。」(ゲーテ『イタリア紀行』) 「天才なるものを信じない人、天才とはどんな...
2018.08.05 12:48「ミケランジェロに息づくドナテッロ」 父の反対を押し切って当時のフィレンツェで一、二を争う規模の工房を経営していたドメニコ・ギルランダイオのもとに13歳で弟子入りしたミケランジェロは、1年ほどで工房を離れる。詳しいきさつは不明だが、サン・マルコ修道院にあった、メディチ家による彫刻コレクション庭園に出入りできるように...
2018.08.04 00:55「ミケランジェロを生んだフィレンツェ」 ロマン・ロランは『ミケランジェロの生涯』を次の一文で書き始めている(岩波文庫 高田博厚訳)。 「彼はフィレンツェの市民であった。」 1530年代に入って、フィレンツェでは共和政体が崩壊し、復権したメディチ家の君主政体は揺るぎないものとなる。15...
2018.03.02 14:50「ミケランジェロのローマ」④ システィーナ礼拝堂のような教会施設の装飾プロジェクトは、神学の専門家の助言を受けて内容を決め、基本計画も教皇宮廷神学顧問の承認を得るのが普通だが、ミケランジェロが描いた天井画は、そのような神学者から干渉を受けた形跡がいっさいない。あれだけの夥しい数の裸体像を、彼らが許すとは考え...
2018.02.28 23:39「ミケランジェロのローマ」③ 「ピエタ」像(ローマ1498年)、「ダヴィデ」像(フィレンツェ1501年)で彫刻家としての名声の高まっていたミケランジェロを教皇ユリウス2世がローマへ招聘したのは1505年2月。その目的は、生きているうちに自らの巨大な教皇墓碑を建造させること。ユリウス2世は古代ローマの皇帝廟に...
2018.02.27 23:46「ミケランジェロのローマ」② 1512年10月31日、4年半の歳月をかけて完成したシスティーナ礼拝堂の除幕式が行われた。集まった人々は賛嘆の声をあげた。 「神の如きミケランジェロ!」 人々が最も驚いたのは「アダムの創造」。この場面のもととなっている聖書の記述を見てみよう。二つの場面からなる。 ①『旧...