「ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂天井画」6 ミケランジェロのメッセージ③「青銅の蛇」

 祭壇をはさんで「ハマンの懲罰」の反対側に描かれたのが「青銅の蛇」。こんな話だ。エジプトを脱出したイスラエルの民は、荒野での困難な旅に耐えられず、モーセや神に対する不平不満を口にし始める。民がエジプトで奴隷として苦しめられていたからこそ、神はモーセを遣わしてイスラエルの民を救出した。エジプト軍が追ってくると紅海の奇跡を通して、彼らを助け、水がなくなると水を与え、食べ物が無くなればマナを与えた。しかし、荒野での旅の苦しみは、民の神への信頼を揺らがせる。

「民は途中で耐えきれなくなって、神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんなな食物では、気力もうせてしまいます。」主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために主に祈った。主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。」(『旧約聖書』「民数記」21章4~9節)

 「炎の蛇」とは、かまれると 火に焼かれるように痛い蛇、つまり毒蛇。ミケランジェロは、「ハマンの懲罰」でも物語の中心人物エステル(命を懸けて王に直訴しユダヤの民を虐殺から救った)をごく小さくしか描かなかったが、この「青銅の蛇」ではモーセを描くことすらしなかった。同じ主題を扱った過去の作例ではモーセが青銅の蛇を掲げる場面が中心になっていたが。ミケランジェロが焦点を当てたのは「炎の蛇」に噛まれてもだえ苦しむ死に瀕した人々。筋肉を振り絞り、身をよじる肉体表現は、「ラオコーン」(1506年に発掘され、ミケランジェロは多大な影響を受けた)や「ケンタウロスの戦い」を連想させるミケランジェロ好みの人体表現。

 しかし、彼がここにそれを描いたのは自分の芸術表現のためだけではもちろんなかった。同時期に起きた「プラートの虐殺」に対するミケランジェロのメッセージも込められている。 1512年、プラートは教皇ユリウス2世と神聖ローマ皇帝カール5世によって召集されたスペイン軍により略奪され、5万人ものプラート市民が虐殺された。これによってフィレンツェ共和国は降伏し、メディチ家が復権した。ミケランジェロは父への手紙で、スペイン軍は怒れる神が遣わした天罰なのだ、と語っている。

「我々は観念してすべてを神に委ね、みずからの過ちを認めねばなりません。ほかならぬ我々の過ちが、こうした災厄をもたらしたのですから」

 人類の悪行が破滅と苦悩をもたらすのだ、神にたちかえり、神に罪の赦しを請わない限り救いの道はない、このことをシスティーナ礼拝堂に集う聖職者、高官たちにもミケランジェロは突き付けたのだと思う。

 (ミケランジェロ「青銅の蛇」システィーナ礼拝堂)

(エリック・コルネリウス「モーセと青銅の蛇」スウェーデン国立美術館)

(ファン・ヘームスケルク「青銅の蛇」プリンストン大学美術館)

(ルーベンス「青銅の蛇」ロンドン ナショナルギャラリー)

(ヴァン・ダイク「青銅の蛇」プラド美術館)

(セバスチャン・ブルドン「モーセと青銅の蛇」プラド美術館)

(フェドール・ブルーニ「青銅の蛇」ロシア美術館)

0コメント

  • 1000 / 1000