「ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂天井画」1「IL PAPA TERRIBILE イル・パパ・テッリービレ」

 「システィーナ礼拝堂天井画」、この途方もない芸術作品をどう形容したらいいのだろう。

 「システィーナ礼拝堂を見ないでは、一人の人間が何をなし得るかを眼のあたりに見てとることは不可能である。」(ゲーテ『イタリア紀行』)

 「天才なるものを信じない人、天才とはどんなものかを知らない人は、ミケランジェロを見るがいい。」(ロマン・ロラン『ミケランジェロの生涯』)

 確かにミケランジェロは天才だろう。フレスコ画制作の経験のなかった彫刻家が、あのような巨大(約800㎡ テニスコート三面より広い!)なフレスコ画を、制作当初こそ助手もいたがその後はほとんど一人で描いたという一事だけでも「神のごとき」と形容されるのも当然な天才だったことは疑いない。しかし、その誕生は、一人の破天荒のローマ教皇の存在を抜きにしては語れない。その名は、ユリウス2世。「IL PAPA TERRIBILE イル・パパ・テッリービレ」(恐るべき教皇)と称された。教皇に選出された経緯からして驚かされる。ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ(本名)枢機卿は史上もっとも短時間で終わった教皇選出会議で教皇に選ばれた。それだけ彼が人気が高かったからではない。賄賂と政治的操作を駆使してだ。あのチェーザレ・ボルジア(塩野七生が『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で描いている)でさえ手玉に取られた。父アレクサンドル6世が在位中に手にいれた領土の継承を約束されたことで、スペインの枢機卿たちの票を保証してしまった。また、教皇権を枢機卿会議に責任を負う立憲君主制に近いものに変える(例えば、全体の3分の2の賛成を得ずに教皇国を戦争に巻き込まないことなど)ことも約束した。しかし、約束はひとつも守られなかった。ユリウスは前代未聞の独裁的教皇になる。彼の好物は、ウナギ、キャビア、乳のみ仔豚。これでは当然痛風もち。愛人からうつされた梅毒にも苦しむ。娘は3人(カトリックの聖職者は妻帯禁止のはず)。ルネサンス期フィレンツェの歴史家・政治家グイッチャルディーニがこう言っているのもうなづける。

  「衣装と名前以外に、聖職者の要素は何もない」

ヴェネツィア大使も記している。

「それはほとんど筆舌に尽くしがたい、この人がいかに強情な暴れ者で、御しがたい人物であるかということは・・・・肉体的にも精神的にも巨人の素質を持った人である。行動といい、情熱といい、すべてが並はずれている」

  晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチの庇護者だったフランソワ一世の評価はこうだ。

「この世紀において我々は教皇ユリウスほど恐ろしい敵を未だかつて知らない」

スペイン大使に至ってはこうまで言う。

「バレンシアの施療院に行けば、聖父様よりはるかに気の確かな患者が何百人も鎖につながれている」

 こんな破天荒のローマ教皇ユリウス2世。ミケランジェロとの間でどんなドラマが展開されたのか?

(ミケランジェロ「システィーナ礼拝堂天井画」)

(ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ「ミケランジェロ」メトロポリタン美術館)

(ラファエッロ「ユリウス2世」ロンドン・ナショナルギャラリー)

(ラファエロ「ユリウス2世」ヴァチカン美術館)

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