2020.06.15 00:37「感染症と人間の物語」25 江戸のはやり病(6)幕末日本とコレラ 嘉永7年(1854)、日米和親条約の締結により日本最初の開港地となったのが下田。安政3年(1856)には、アメリカ総領事としてタウンゼント・ハリスが下田を来航する。ハリス来任の目的は通商条約の締結。しかし、徳川幕府はあくまでも通商条約を嫌い、ハリスの再三の江戸出府、幕府要人との...
2020.06.14 03:42「感染症と人間の物語」24 江戸のはやり病(5)麻疹②「はしか絵」 麻疹は小児科の病気だが、江戸時代には大人もかかった。こんな江戸川柳がある。 「麻疹で知られる傾城の年」 「傾城(けいせい)」とは遊女のこと。当時から、麻疹も疱瘡も一度かかれば二度とかからないことはよく知られていた。今回の流行でこの遊女は麻疹にかからない、...
2020.06.13 01:00「感染症と人間の物語」23 江戸のはやり病(4)麻疹①藤原道長の盛衰 「見目定めの病」と呼ばれたのが天然痘(疱瘡)ならば、「命定めの病」と呼ばれたのが麻疹(はしか、ましん)。天然痘より死亡率が高く、かつては生まれた子供のうち半分が育てばよいとされていた。「七歳までは神の子」「七つまでは神のうち」と言われたが、幼児の生死は神様が握っていて、ヒトの努...
2020.06.11 23:09「感染症と人間の物語」22 江戸のはやり病(3)天然痘(疱瘡)③ワクチン 欧米などの一部の国では経済活動を再開する動きがある一方、アフリカ、ラテンアメリカなどで猛威を振るい続ける新型コロナウイルス感染症。治療薬とともに急がれるワクチン開発だが、深まる米中対立の主戦場の一つにもなっている。ところでこの「ワクチン」という名称。ラテン語のVacca(雌牛)...
2020.06.11 00:48「感染症と人間の物語」21 江戸のはやり病(2)天然痘(疱瘡)②疱瘡絵 天然痘(疱瘡)にかかると高熱が出て皮膚に発疹ができ、失明の危険性もあり(伊達政宗が右目の視力を失い「独眼竜」になった原因については、天然痘によるものであるという点で医史学者の意見は一致している。天然痘は、眼にできれば失明する。種痘の普及する江戸末期まで、日本人の失明原因としては...
2020.06.09 23:41「感染症と人間の物語」20 江戸のはやり病(1)天然痘(疱瘡)①祇園祭 東大寺大仏4月21日、京都八坂神社HPの「令和2年度 祇園祭についてのおしらせ」。「本年の祇園祭につきましては、新型コロナウィルスの感染拡大による国内外の深刻な状況を鑑み、安心安全を第一に、関係者協議の結果、下記の神事行事を中止と致します。」日本三大祭のひとつでもある京都八坂神社の祭礼祇園...
2020.06.08 20:30「感染症と人間の物語」19 シェイクスピアとペスト② 「創造的休暇」 万有引力の法則の発見や微積分法、光のスペクトル分析など多くの歴史的発見を成し遂げた科学者であり、リンゴの実験で有名なアイザック・ニュートン【1643年~1727年】。彼は1661年にケンブリッジ大学に入学(入学当初は優秀な学生とはいえなかった)するが、在学中の1665年、最後の...
2020.06.07 22:01「感染症と人間の物語」18 シェイクスピアとペスト①『ロミオとジュリエット』 シェイクスピアの人気の悲劇『ロミオとジュリエット』。実は物語の展開上、ペストが重要な役割を果たしている。ヴェローナの2つの名家、キャピュレット家とモンタギュー家は仇敵同士。ところが、モンタギュー家の一人息子ロミオとキャピュレット家の一人娘ジュリエットとが互いに一目惚れ。ロレンス...
2020.06.06 22:42「感染症と人間の物語」17 「コロンブス交換」②梅毒 梅毒の起源については、ヨーロッパ起源説とアメリカ起源説があり、いまなお議論が続いているようだが、梅毒に関する記録はコロンブス以前のヨーロッパにはまったくみられない。ヨーロッパに梅毒が姿を現したのはコロンブスによる第一次航海のすぐあとの1493年。だから、梅毒はコロンブス一行によ...
2020.06.05 22:48「感染症と人間の物語」16 「コロンブス交換」①天然痘 1492年のコロンブスによる新大陸到達以降、ヨーロッパ、アジアなど旧大陸と南北アメリカの新大陸との間で食料となる植物など様々な交流があったが、米国の歴史学者アルフレッド・W・クロスビーはこれを「コロンブス交換」と名付けた。現在のヨーロッパ料理になくてはならないトマト、ジャガイモ...
2020.06.04 22:55「感染症と人間の物語」15 ルネサンスと感染症(5)レオナルド・ダ・ヴィンチ②理想都市 1484年から翌年にかけてミラノを襲ったペスト禍は、前世紀のフィレンツェ(ボッカチオが『デカメロン』で描写)でのそれを想起させるに十分な悲惨さであった。人びとは、各自で墓穴用の大きな濠を掘り、そこに一日に何回となく運び込まれる遺体を埋めた。あまりの遺体の頻出から街路上にもそれが...
2020.06.03 21:49「感染症と人間の物語」14 ルネサンスと感染症(4)レオナルド・ダ・ヴィンチ①『岩窟の聖母』 30歳のレオナルドは、1482年フィレンツェを離れミラノに移住。はっきりとした理由はわかっていない。当時のミラノは成長途上にある都市だった。人口はフィレンツェよりいくぶん多い8万。古いタイプの封建都市国家で、法治制度よりも強力な軍事力に権力基盤を置く君主一族(ヴィスコンティ家→...