「感染症と人間の物語」19 シェイクスピアとペスト② 「創造的休暇」
万有引力の法則の発見や微積分法、光のスペクトル分析など多くの歴史的発見を成し遂げた科学者であり、リンゴの実験で有名なアイザック・ニュートン【1643年~1727年】。彼は1661年にケンブリッジ大学に入学(入学当初は優秀な学生とはいえなかった)するが、在学中の1665年、最後のペスト大流行がイギリスを襲った。大学の講義もキャンセルされ、ニュートンは、100キロ近く離れた故郷に引きこもって、そこで研究を続けた。教授から横やりを入れられる心配もなく、この若い数学者は自由な隔離時間を有効に使って優れた研究を行う。寝室でプリズムで遊びながら、初期の微積分となる論文を書き、光学に関する自分の理論を発展させた。あの有名な万有引力論もこの時芽生えたのだ。このようにニュートンの三大業績はすべてこの時期になされた。そのため後にニュートンは、このペストによる休校期間(18か月)を「創造的休暇」と呼んだと言われる。
シェイクスピアの場合も、「休暇」とは呼べないだろうがペスト流行による劇場閉鎖期間が彼の劇作に大きな影響を及ぼしたようだ。1592年から94年のぺストの大流行によってロンドンの劇場は一時閉鎖され、劇団は地方巡業に出かけざるをえなくなる。すでに劇作家としてスタートをきっていたシェイクスピアは、この暗い閑暇の時に、『ヴィーナスとアドニス』と『ルークリースの凌辱』という二つの長篇物語詩を書き、サウサンプトン伯ヘンリー・ロッツリーという強力な庇護者を得た。シェイクスピアの作品の中で最初に印刷された『ヴィーナスとアドニス』は、インテリ読者層(廷臣、大学生、法学院生、識者たち)に熱狂的な人気を得て、めずらしく版を重ねた。また『ルークリースの凌辱』は前者ほどではないにしても、かなりの売れ行きを示し、詩人シェイクスピアの名を高からしめた。この詩集出版における大成功は、シェイクスピアに、将来の進路について一時的な迷いをもたらしたことだろう。しばしのはかない娯楽を大衆に提供する劇は、作者に普通せいぜい一篇6ポンド程度の収入しかもたらさない。芝居の脚本は印刷を意図せずに書かれる場合が多く、詩集と同様の意味における名誉を作者にもたらすものではなかった。他方、高貴な庇護者への献呈辞をつけて書物として出版される詩集が、詩人に招来する名声と利益は、劇作家の場合とは比べ物にならなかった。しかし、1594年春にようやく劇場が再開され、劇団が再編成された時シェイクスピアが選んだのは劇作だった。彼は、一部の特権階級を対象とする高踏的な詩作よりも、文学的慣習に縛られずに大衆のために自由に書く劇作を選んだのである。彼はサウサンプトン伯の庇護を利用することは二度となかった。彼の劇作品のすべては、1594年の加入以来彼が生涯をささげた宮内大臣一座の上演のために書かれた。また彼は、その他の多くの劇作家たちのように、宮廷仮面劇や公事のための献詩を書いて名を残そうとさえしなかった。
1603年3月24日、エリザベス女王は死去し、スコットランド国王ジェームズ6世がイングランド国王ジェームズ1世として即位すると、シェイクスピアの劇団は国王一座となる。しかし、4月からロンドンにはまたしてもペストが蔓延して、5月26日以降、市内の劇場はすべて閉鎖され、あらゆる劇団は地方巡業に出ざるを得なかった。1604年4月9日にようやくロンドン市内の劇場の閉鎖が解けると、国王一座はいよいよその活動を開始。シェイクスピアは1604年までには『オセロ』を仕上げた。1605年の冬には『マクベス』を執筆。1606年7月、再びペストが蔓延し、巡業を余儀なくされるが、12月26日には『リア王』を御前上演した。このように、シェイクスピアはペストが流行し劇場が頻繁に閉鎖された1603年から1606年にかけて4大悲劇のうち『ハムレット』をのぞく3作品を執筆している。どこまで地方巡業に同行したかは不明だが、劇場が閉鎖されている間、執筆に専念できる十分な時間はあったようだ。
400年前も現在も、感染症対策の基本が隔離と避難であることは変わらない。そして隔離生活、避難生活はルーティンから解放され、人の感覚を研ぎ澄ましてくれる非日常な時間と空間。それをどう生きるかでその後の人生が大きく変わることをニュートンやシェイクスピアは教えているように思う。
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