2019.09.29 00:41「フランスの宮廷と公式愛妾」11 ディアヌ・ド・ポワチエ(6)アンリ2世の死 優れた指導者の資質の一つに「感情、特に報復感情からの解放」があげられる。確かに、フリードリヒ2世にシュレージエンを奪われたマリア・テレジアはシュレージエン奪還を合言葉に国家の大改造、中央集権化を実現したが、あまりにそこにこだわりすぎて七年戦争で多大な犠牲を生んでしまい後悔するこ...
2019.09.28 00:29「フランスの宮廷と公式愛妾」10 ディアヌ・ド・ポワチエ(5)王妃カトリーヌ 子供が生まれたのはよいが、カトリーヌはそれから12年間のほとんどを産褥の床に過ごす。また子供たちは生まれるとすぐさっさと取り上げられて、ディアヌのもとに連れていかれる。出産による真の勝利者はカトリーヌではなくディアヌだった。このときから彼女は、アンリとカトリーヌの夜の生活に干渉...
2019.09.26 10:31「フランスの宮廷と公式愛妾」9 ディアヌ・ド・ポワチエ(4)王太子妃カトリーヌ 結婚後もアンリとディアヌの関係は変わらない。ディアヌはフォンテーヌブロー城に住み、アンリとともに本を読み、感想を語り合い、城の壁を飾る絵画を一緒に鑑賞し、夜になるとそれぞれの寝室に向かっていた。カトリーヌの運命が大きく変わったのは1536年。王太子フランソワが激しい運動の後一気...
2019.09.25 01:01「フランスの宮廷と公式愛妾」8 ディアヌ・ド・ポワチエ(3)結婚 ディアヌが若い王子に悪影響を与えていると国王に忠告する者もいたが、フランソワ1世はディアヌに満足していた。そして14歳になったアンリに結婚の時期がやってくる。二人の王子釈放のために莫大な身代金を払ったフランスは、国庫が空っぽ。それを埋めるために、早急に大金を必要としていた。王太...
2019.09.24 01:04「フランスの宮廷と公式愛妾」7 ディアヌ・ド・ポワチエ(2)アンリの教育係 人質となった二人の王子への扱いは、日に日に悪化していった。なぜか。フランソワ1世は、二人の王子の人質以外に、カール5世の妹エレオノールとの結婚、莫大な身代金、ブルゴーニュ(豊かな自然・歴史・文化を持つフランスの宝物)の割譲を条件に釈放された。しかし、カール5世が是が非でも手に入...
2019.09.23 01:56「フランスの宮廷と公式愛妾」6 ディアヌ・ド・ポワチエ(1)愛の始まり マキャヴェリ『君主論』の有名な一節。「そこで野獣の気性を適切に学ぶ必要があるのだが、この場合、野獣の中でもきつねとライオンに学ぶようにしなければならない。理由は、ライオンは策略の罠から身を守れないし、きつねは狼から身を守れないからである。罠を見抜くという意味では、狐は狼からであ...
2019.09.20 12:07「フランスの宮廷と公式愛妾」5 アニェス・ソレル(5)百年戦争終結 シャルル7世は、戦闘的なジャンヌ・ダルクと違ってイギリスとの戦いには消極的だった。そんな彼が、やがてイギリス軍への攻勢を強め、1436年にはリシュモン元帥率いるフランス軍がパリに入城、その後、1450年にはノルマンディを攻略、1453年にはギュイエンヌを回復し、カレーを除いてほ...
2019.09.18 05:58「フランスの宮廷と公式愛妾」4 アニェス・ソレル(4)出会い フランス王の戴冠は代々ランスで行われた。ランスはフランク王クロヴィスの洗礼の地であり、フランス王はその王権の根拠を、ランスに保管されている聖油による聖別を受けてクロヴィスの後継者となることに求めたためである。ジャンヌは、シャルルをランスで戴冠させるべく、王太子軍を率いて戦いを続...
2019.09.17 00:37「フランスの宮廷と公式愛妾」3 アニェス・ソレル(3)ジャンヌ・ダルク登場 イギリスに対抗するためブルゴーニュ派とアルマニャック派は協調を試みる。1419年9月10日、王太子シャルルとジャン・サン・プールはモントローで和解交渉を行うが、王太子の支持者によりジャン・サン・プールは暗殺されてしまう。事件の詳しい内容は現在も分かっておらず、アルマニャック派の...
2019.09.16 00:43「フランスの宮廷と公式愛妾」2 アニェス・ソレル(2)シャルル7世の生い立ち② 父親が精神異常であっても母親が子に対して愛情深ければまだ救いはある。シャルル7世の母親は、イザボー・ド・バヴィエール(フランス語: Isabeau de Bavière)。ヴィッテルスバッハ家のバイエルン公の長女(ドイツ名でエリーザベト・フォン・バイエルン:Elisabeth ...
2019.09.15 04:06「フランスの宮廷と公式愛妾」1 アニェス・ソレル(1)シャルル7世の生い立ち① シャルル7世から浮かぶイメージは二つ。ひとつは、あのジャンヌ・ダルクによってランスで戴冠式を行いフランス国王になったが、結局ジャンヌを見捨て火刑に至らせてしまったこと。もうひとつは、1453年カレー以外の全土からイギリス軍を駆逐して1339年に始まった英仏百年戦争を終結させ(フ...