「フランスの宮廷と公式愛妾」7 ディアヌ・ド・ポワチエ(2)アンリの教育係

 人質となった二人の王子への扱いは、日に日に悪化していった。なぜか。フランソワ1世は、二人の王子の人質以外に、カール5世の妹エレオノールとの結婚、莫大な身代金、ブルゴーニュ(豊かな自然・歴史・文化を持つフランスの宝物)の割譲を条件に釈放された。しかし、カール5世が是が非でも手に入れたいブルゴーニュをフランソワ1世は一向に引き渡そうとしない。カール5世は、王子たちを冷遇することで、フランソワ1世にプレッシャーをかけようとしたのだ。しかし、幼い王子のひどい扱いにフランス国民だけでなく、フランソワ1世との結婚を強いられていたエレオノールも何度となく兄に釈放を訴えた。カール5世の妃イザベラも、夫に隠れて監獄長に多額の金を渡し、王子たちの待遇改善を依頼した。ついにカール5世が根負け。ブルゴーニュはあきらめ、人質解放の条件はエレオノールの結婚と身代金だけになる。

 身代金(4トンの金貨)と王子の交換がなされ、エレオノールがフランスに入ったのは1530年7月1日。このときフランソワ王太子12歳、アンリ王子は11歳。王太子は久しぶりに会う父にきりっとした態度で接した。国のために長年にわたって非情な暮らしに耐えてきた王太子を、側近たちは代わる代わる称賛。その陰で、弟のアンリは黙り込んでいた。以前にもまして無口になり、他人に接するかのように距離を置くアンリの態度が父フランソワ1世は気になって仕方がなかった。国王は、アンリに特別の教育としつけを与える人をつけようと考える。感情の起伏が激しい内向的なアンリのような少年は、母親のような大きな温かい愛情、包容力が必要。勉学にも芸術にも関心を示さず、ただ馬を走らせ剣を振り回しているアンリを大国フランスの王子にふさわしく変貌させるためには、高い教養を身に着けた女性のきめ細かな指導が必要。国王が迷うことなく選んだのは、王家の家令ルイ・ド・ブレゼの妻、ディアヌ・ド・ポワチエだった。

 フランその有力貴族の娘ディアヌが結婚したのは15歳の時。このとき56歳の夫ルイ・ド・ブレゼ(母はあのアニェス・ソレルとシャルル7世の間に生まれたシャルロット)は、素晴らしく博学で、寛大で、善良な人物だった。ルイは、若い妻を巧みな話術と膨大な蔵書の中から選んだ本を勧めることで教養ある女性に育てる。夫を尊敬するディアヌも、それに応えようと惜しみない努力を続けた。そんな結婚生活が15年続いた1530年のある日、ディアヌは国王からアンリ王子の特別教育を頼まれる。釈放されたアンリはこの年の夏と秋をディアヌ一家と過ごす。翌年ルイ・ド・ブレゼがこの世を去る。二人の娘とアネット城(パリの西80㎞)でひっそり暮らすようになったディアヌは、フランソワ1世から請われる。妃エレオノールの女官としてフォンテーヌブロー城に住み、アンリの教育もしてほしい、と。

 ディアヌがフォンテーヌブロー城に住むようになった時、城は大々的な改造工事の真っ最中。イタリア遠征で目にしたルネサンス文化のすばらしさに感動したフランソワ1世がルネサンス風への改造を命じたのだ。建築にも絵画にも大きな関心を抱いていたディアヌは、卓越したルネサンス文化に圧倒された。やがてディアヌは、工事現場にアンリを伴うようになる。目の前で次々と生まれるルネサンス文化をアンリにわかりやすく解説。父が驚くほど粗野だったアンリは、徐々に書物や芸術にも関心を抱くようになる。笑顔を見せたことがなかったアンリにも快活さが出てきた。アンリは、ディアヌが好むような王子になろうと努力していたのだ。アンリは19歳年上のディアヌに恋心を抱き始めていたのだ。

フォンテーヌブロー城

フォンテーヌブロー城

フランソワ1世

ディアヌ・ド・ポワチエ

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