2019.10.18 00:45「サン・バルテルミーの虐殺」14 その後 結局、パリ市内だけで約3000名が殺され、フランス全体で約1万人が殺されたという。このサン・バルテルミーの大虐殺事件によって宗教戦争は新たな段階に入った。大虐殺の後、パニック状態に陥ったプロテスタントの中からは大量の改宗者が現れ、一方、改宗を拒否したプロテスタントの一部は亡命す...
2019.10.15 01:11「サン・バルテルミーの虐殺」13 虐殺2 計画実行の合図は、市庁舎の鐘だった。しかしその1時間半まえにサン・ジェルマン・ロクセロワ教会の鐘のほうが鳴ってしまい、暗殺者たちはその音を聞きつけ、カトリーヌが虐殺は避けるべきであると判断したちょうどその頃に、犠牲者たちにとびかかっていったのである。こうして、カトリーヌの意に反...
2019.10.10 23:01「サン・バルテルミーの虐殺」12 虐殺 カトリーヌはコリニーの陰謀計画を伝える。過去の「アンボワーズ事件」(1560年3月、プロテスタント貴族ラ・ルノーディを中心とする不平貴族たちがアンボワーズ城にあった国王フランソワ2世を誘拐してカトリック強硬派のギーズ公を除こうと画策した事件)、「モンソー事件」(1565年9月、...
2019.10.09 23:18「サン・バルテルミーの虐殺」11 コリニー暗殺未遂 カトリーヌのコリニー殺害計画(彼女と最愛の息子アンジュ―公アンリだけで決められた)は、彼の死だけでなく、その結果として生じる政治的な余波までも見越していた。コリニーの信奉者たちは彼の恨みを晴らそうとするに違いなく、もし犯人を知った場合には必ず復讐に出るだろう。彼女と息子のアンリ...
2019.10.09 03:16「サン・バルテルミーの虐殺」10 コリニーの暴走 1572年8月18日、新旧両派の和解のシンボルとしてアンリ・ド・ナバル(後のアンリ4世)と国王シャルル9世の妹マルグリットとの結婚式がノートル・ダム大聖堂で挙行された。しかし、アンリはプロテスタント、マルゴはカトリック。そのため実に奇妙な形式の結婚式だった。アンリは祝福のミサに...
2019.10.07 21:55「サン・バルテルミーの虐殺」9 マルゴとアンリの結婚 ナヴァル王妃ジャンヌ・ダルブレが動く。16歳になる息子のナヴァル王子アンリ(後のアンリ4世)を連れて、プロテスタント陣営の拠点ラ・ロシェルに駆けつける。コンデ公ルイの死を機に、アンリを一気にユグノーの長に祭り上げようという魂胆だ。しかし、事実上ユグノーの長になったのはコリニー提...
2019.10.07 06:06「サン・バルテルミーの虐殺」8 「バイヨンヌ会談」 1563年9月18日、ルーアンでシャルル9世の成人式が行われた。と言ってもまだ13歳。カトリーヌは事実上の摂政の地位から退くが、もちろん権力は手放さない。彼女は国王の全国巡幸を計画する。若い国王を国民に紹介し、そうすることで忠誠心を掻き立てるためだ。そしてさらには分裂した国民の...
2019.10.06 04:01「サン・バルテルミーの虐殺」7 「ヴァシーの虐殺」 「一月王令」でカトリーヌの融和政策は完成されるはずだった。しかしその王令の登録からわずか2週間後の1562年3月1日に起きた突発事件がその望みを打ち砕いた。「ヴァシーの虐殺」である。この日、ギーズ公フランソワは自身の領地への移動中、シャンパーニュ地方のヴァシー(彼の一族の所領の...
2019.10.05 01:35「サン・バルテルミーの虐殺」6 寛容政策の背景 新旧両派の会談は和解の望みのないまま失敗に終わる。9月26日の閉会演説で、カトリーヌはこう言わねばならなかった。「わたくしどもはこの会談が、わたくしどもの期待した成果を――すべてのキリスト教会の愛にとって必要なものなのですが――結ばなかったことが、至極残念でなりません・・・」 ...
2019.10.04 01:46「サン・バルテルミーの虐殺」5 「ポワシーの討論会」 10歳のシャルル9世が即位したことで実権を握ったカトリーヌだが、宗教上の紛争から王国、王権を守ろうと、ギーズ兄弟を完全に見放すことなしにブルボン兄弟に接近しようとする。姪のメアリー・ステュアートが王妃であった時代に権力を持ちすぎたギーズ兄弟を押さえるためにブルボン兄弟、ユグノー...
2019.10.03 02:28「サン・バルテルミーの虐殺」4 マキャヴェリスト・カトリーヌ② フランソワ2世の死は、それまで宮廷を牛耳ってきたギーズ兄弟の影響力を低下させ、国務会議の雰囲気を和らげることになった。王妃メアリー・ステュアートの叔父の立場を利用して、若き国王フランソワ2世に圧力をかけ、プロテスタント弾圧政策をとらせてきたが、それができなくなったからだ。プロテ...
2019.10.02 01:38「サン・バルテルミーの虐殺」3 マキャヴェリスト・カトリーヌ① カトリーヌはユグノーたちと和解することを心から望んでいた。彼女が恐れていたのは、王権に対する犯行であり、単に「異端」であるだけのユグノーに関しては、彼女はいささかの憎悪の念も抱いていなかった。「アンボワーズ事件」の直前に開かれた緊急議会でもこんな発言をして人々の度肝を抜いた。 ...