「サン・バルテルミーの虐殺」4 マキャヴェリスト・カトリーヌ②

 フランソワ2世の死は、それまで宮廷を牛耳ってきたギーズ兄弟の影響力を低下させ、国務会議の雰囲気を和らげることになった。王妃メアリー・ステュアートの叔父の立場を利用して、若き国王フランソワ2世に圧力をかけ、プロテスタント弾圧政策をとらせてきたが、それができなくなったからだ。プロテスタントであるアントワーヌ・ド・ブルボン(ナヴァル王)にとって事態は好転した。では、カトリーヌにとってはどうだったか?

夫アンリ2世の死によって、ディアヌ・ド・ポワチエを排除し、フランソワ2世の死によってギーズ家は大きく後退。では、王母としてカトリーヌは絶大な権力を手に入れられたのかというと事はそれほど単純ではない。次期国王シャルルは未成年(10歳)。当然摂政がつく。その地位に就くのは誰か。第一王族であるナヴァル王なのだ。サリカ法で決まっている。カトリーヌはこの摂政権をナヴァル王から奪う。

 カトリーヌの権力を支えたのは情報網。そしてその中核にあったのが「エスカドロン・ヴォラン(遊撃騎兵隊)」。「一見、女神のように近寄りがたいが実のところ愛想のいい」侍女たちのことで、いずれも身分高い貴族の家柄から選ばれ、互いに勝るとも劣らない美しさを競っていた。なぜ彼女たちが「遊撃騎兵隊」と呼ばれたのか。それは、彼女たちが特殊な政治目的に使われたから。カトリーヌの命を帯び、国家にとって危険だと思われる男たちのベッドにしのびこんでは、その心を愛撫で溶かし、骨抜きにして、政治上の秘密をぬすみとってしまう。彼女たちの行状は次第に外国にまで伝わり、のちにローマ教皇はカトリーヌに、こんな叱責の手紙をよこすほどになった。

「あなたはもう少し侍女の数を減らされるべきだと存じます。そして彼女たちが男の腕から腕へと渡り歩くことのないよう、また、もっとつつましい服を身につけるように気をお配りになるべきです」

 15歳のフランソワ2世が即位したときも、ナヴァル王アントワーヌは摂政権を主張したが、カトリーヌに丸め込まれた。ルイーズ・ド・ラ・ベロディエール、別名「ラ・ベール・ルーエ」を与えられることで。彼女は「遊撃騎兵隊」の中で一番の美女と言われた。ナヴァル王は軽佻浮薄な人物で考えが変わりやすく、「ウズラの雛」という渾名をつけられていた。ウズラが季節ごとに羽毛を変えるように、彼もまたしょっちゅう意見を変えるからだった。ナヴァル王が摂政権を放棄したことを知ったカルヴァンは、激怒し友人の一人にこう書き送っている。

「彼はヴィーナスの虜になっている。下品な中年女(カトリーヌのこと)はこうした技にはじつによく長じており、彼の魂を誘惑し奪い去るために、彼女のハレムからそれに見合う女を選んだ」

 カルヴァンは直接ナヴァル王に手紙を送って彼の義務を思い出させ、王母が支配している悪魔的な世界に目を開かせようとする。

「閣下、わたしは閣下が両親に目覚められることを、神のみなにおいて、お願い申し上げます」

 しかし、ナヴァル王が選んだのは、ラ・ベールという魅惑的な存在だった。カトリーヌはさらにラ・ベールに命じてナヴァル王に棄教させ、カトリックに再帰依させ、はっきりとカトリーヌの一派に加わらせた。

この点、妻や弟は違った。妻のジャンヌ・ダルブレ(母はフランソワ1世の姉)は一徹までに自尊心が高く、戦闘的かつ狂信的な性格で、カルヴァン主義という新しい主張を心から信奉していた。弟のルイ・ド・コンデは見てくれの体格は貧弱だったが、その勇気と勢力と頭の鋭さは、常人の域をはるかに超えていた。カトリーヌに対抗するに足り、カトリーヌ自身も見事に利用している武器、すなわち秘密主義、感情隠蔽、虚言という武器を保持していた。このコンデこそヴァロア朝の真の敵であり、最も危険な存在だった。

 彼らに比べればナヴァル王の籠絡は容易だった。息子フランソワ2世が生死の境をさまよっているときに、カトリーヌはナヴァル王を呼びつけ、12月10日に死刑執行予定の弟コンデ公の釈放、裁判見直し、名誉回復を約束することで摂政権を放棄させる。もちろんあくまで慎重なカトリーヌは、サリカ法に抵触(サリカ法では、摂政権は女には、まして異国人である女には授けられないことになっている)することを避けるために「摂政」と名乗らず、「フランス王国政権担当者」という称号を用いた。そしてナヴァル王にはフランス軍最高司令官ともいうべき王国総代官に任命することを約束した。こうしてカトリーヌの政治の裏方に甘んじている時代は終わった。長い忍従の時代に別れを告げて、いよいよ彼女は真の統治者としての一歩を踏み出す。

1567聖ミカエルの日の大虐殺  プロテスタントによるカトリックの大虐殺

フランソワ・クルーエ「カトリーヌ・ド・メディシス」カルナヴァレ美術館

コルネイユ・ド・リヨン「アントワーヌ・ド・ブルボン」ワルシャワ王宮

「カルヴァン」ユトレヒト カタリナコベント博物館

フランソワ・クルーエ「シャルル9世」トゥールーズ アセザ館

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