2022.09.24 11:36江戸の名所「品川」①紅葉の名所「海晏寺」 江戸時代、紅葉の名所といえば下谷の「正燈寺(しょうとうじ)」と並んで品川の「海晏寺」。「江戸丹楓の名勝にして一奇観たり。晩秋の頃は満庭錦繡を晒すが如く、海子氏の山々は紅の葉分に見えわたり、蒼海夕日に映じては又紅を濯ふが如く、書院僧房もその色にかがやき、この地遊賞の人醉食ならざる...
2019.09.01 05:00江戸の名所「品川」⑩「イギリス公使館焼き討ち事件」 文久元年(1861)5月28日、英国公使館がおかれていた高輪東禅寺を水戸浪士14人が襲撃した(第一次東禅寺事件)。イギリス公使オールコックが幕府の反対を押切って陸路入京したことは神州をけがした、との理由からだ。この事件の一周年にあたる文久2年(1862)5月29日には、東禅寺警...
2019.08.31 01:19江戸の名所「品川」⑨「土蔵相模」と「桜田烈士」 「旅籠百軒」と謳われた品川宿は、文字通り旅籠が軒を連ねていたが、その中でも幕末の志士たちが使ったことで知られるのが高輪寄りの歩行(かち)新宿にあった「相模屋」、通称「土蔵相模」。外壁が土蔵のような海鼠〈なまこ〉壁であったことからこう呼ばれていたが、旅籠というより品川でも有数の規...
2019.08.29 22:05江戸の名所「品川」⑧「真っ赤な嘘のつきどころ」 品川が北の吉原に匹敵するほどの賑わいを見せたのは、近くに多くの行楽の名所がありそれを口実に出かける男たちが多かったこともその原因である。 春から夏にかけて品川一帯(「袖が浦」)は潮干狩りの名所だった。『江戸名所図会』にこうある。「この地は海岸にして佳景なり。殊更弥生の潮尽(しお...
2019.08.28 22:42江戸の名所「品川」⑦品川の客2 薩摩藩邸 「品川の客にんべんのあるとなし」の「にんべんのある」「侍」の多くは薩摩藩士。何しろ薩摩藩は77万石の大藩。江戸にいくつも屋敷(藩邸)を持っていた。江戸藩邸は上屋敷(大名とその家族が居住し、江戸における藩の政治的機構が置かれた屋敷)、中屋敷(屋敷の控えとして使用され、多くは隠居し...
2019.08.28 01:02江戸の名所「品川」⑥品川の客1 「増上寺」 品川の客を詠んだ有名な川柳がある。 「品川の客にんべんのあるとなし」 「にんべんのある」のが「侍」。「にんべんなし」は「寺」つまり僧侶。僧侶と言っても、より具体的には芝の増上寺。『婦美車紫鹿子(ふみぐるまむらさきかのこ)』(浮世偏歴斎道郎苦先生 うきよ...
2019.08.26 21:15江戸の名所「品川」⑤「北の吉原 南の品川」 慶長6年(1601)、品川湊の近くに「品川宿」が設置された。日本橋から8キロ。板橋宿(中山道)、内藤新宿(甲州街道)、千住宿(日光街道・奥州街道)と並んで「江戸四宿」と呼ばれたが、旅籠屋数や大名行列の通過数なども他の江戸四宿よりも多く、幕府からも重要視された。この東海道最初の宿...
2019.08.25 23:12江戸の名所「品川」④「浅草海苔」 2月6日が「海苔の日」と定められたのは1966年(昭和41年)。なぜ2月6日かというと、その由来はなんと701年に制定された「大宝律令」にまでさかのぼる。この大宝律令には朝廷への調(税の一種)として29種類の海産物が挙げられており、そこに海苔も含まれていたが、大宝律令が施行され...
2019.08.24 21:57江戸の名所「品川」③「鯨塚」 浮世絵を見ていて、「洲崎」とだけ書いてあるとそれが「深川洲崎」なのか「品川洲崎」なのか判然としないものがある。初日の出はたいてい「深川洲崎」で、高い土手と高潮被害から設けられた広い空き地、すぐ北側に木場があることなどの特徴からそれとわかるが、潮干狩りなど判然としない絵もある。ど...
2019.08.23 21:42江戸の名所「品川」②ヤマトタケル伝説 『古事記』『日本書紀』に登場する伝説的な英雄「日本武尊(倭建命)」(やまとたけるのみこと)。東征の折、相模国(神奈川県)から上総国(千葉県)へ向かうため海を船で渡ろうとしたが、海が大いに荒れ、船が沈没しそうになってしまう。海に臨んだ日本武尊が不遜にも「こんな小さい海、飛び上って...