2020.07.12 20:50「マルティン・ルターと宗教改革」15 「ルターと日本」②ルターと親鸞 1549年のザビエル来日以降、多くの宣教師が次々と来日し熱心に布教活動を行ったが、その際、日本の実情について報告をしている。その中に、こんな、驚くべき報告がある。「彼ら[浄土真宗の仏僧]は、阿弥陀や釈迦が、人々に対していかに大いなる慈愛を示したかを強調し、救済は容易なことである...
2020.07.11 22:50「マルティン・ルターと宗教改革」14 「ルターと日本」①スペインとオランダ 日本にキリスト教が伝わったのは1549年。フランシスコ・ザビエルが来日した時である。以来、約300人の宣教師が日本の地をふみ、最大で60万人の信者がいたと伝えられている。なかには大村純忠(バルトロメオ)、大友宗麟(ドン・フランシスコ)や高山右近(ドン・ジュスト)らのキリシタン大...
2020.07.10 21:05「マルティン・ルターと宗教改革」13 「人間ルター」 どんな美味しい料理を提供してくれようが、その作り手の人間に惹かれなければその店に通い続けることはない。歴史上の人物とて同じこと。ルターも実に魅力的な男だった。まず、無類のビール好きだったというのが、酒(ワイン)好きの自分にはうれしい。こんなエピソードがある。 1521年、神聖ロ...
2020.07.09 21:15「マルティン・ルターと宗教改革」12 「ルターの神学思想」①「信仰義認」 「義認」とは何か?それは、罪人(「罪」とは、神の意思に背こうとすること)である人間が、神に義(ただ)しいと認められて(判定されて)救われる(天国へ行ける)こと、つまり「救済」。そして、この救いは、まったくの神からの贈り物、まさに神の恵み(恩寵)なのである。では、ど...
2020.07.08 23:44「マルティン・ルターと宗教改革」11 「諸侯の奴隷、農民の敵」 中世世界とは教皇(宗教)と世俗君主(政治)との二人三脚だったが、ドイツ(神聖ローマ帝国)国内にはさらに複雑な事情があった。それは世俗権力が中央集権体制をとれず、各地の領邦君主、世俗化した大司教や修道院領、独立の帝国都市や騎士領などに細分化され、各地の領邦君主らが自らの領土内に教...
2020.07.08 01:47「マルティン・ルターと宗教改革」10 「賛美歌と木版画」 ヴァルトブルク城に匿われたルターが新約聖書のドイツ語訳に専念している間にも、熱心な弟子たちの活動によって、彼の教えは各地に浸透していった。もちろん書物の果たした役割は大きかった(ドイツで刊行された書物は、1519年には111点だったが、1523年には約500点に増えた。その8割...
2020.07.07 00:43「マルティン・ルターと宗教改革」9 「聖書のドイツ語訳」 10か月のヴァルトブルク城滞在での最大の業績は、『新約聖書』のドイツ語訳を完成させたことである。なぜ、聖書のドイツ語訳が後世に残るルターの最も大きな仕事の一つとされるのか? 中世において聖書と言えば、ラテン語訳の聖書を指す。4世紀のヒエロニムスによるヘブライ語、ギリシア語からの...
2020.07.05 21:30「マルティン・ルターと宗教改革」8 「破門」 1520年11月、教皇レオ10世はルターの頑なな主張に対して破門威嚇勅書「エクスルゲ・ドミネ(主よ、立ちたまえ)」を発令。その内容は、「95ヶ条の提題」やルターの著書から41箇所について断罪し、60日以内に彼が自説を撤回しない場合には破門に処するというものであった。しかしルター...
2020.07.04 21:25「マルティン・ルターと宗教改革」7 「ライプツィヒ討論」 「95ヶ条の提題」は印刷術のおかげで、たった2週間で全ヨーロッパに拡がった。驚いたのはアルブレヒト・フォン・ブランデンブルク。自分の「金策」に悪影響が生じることを恐れ、ローマ教皇レオ10世に提題の一部を送って処置を要請。しかし教皇庁は当初それをあまり問題にしなかった。ドイツ・ザ...
2020.07.03 22:56「マルティン・ルターと宗教改革」6 「贖宥状事件」 「塔の体験」によって自らの信仰的・思想的基盤を確立したルターは、現実の教会、また神学の動向に目を向け、そしてその問題点を激しく批判していくこととなる。いよいよローマ・カトリック教会との衝突が始まる。 1517年10月31日、ルターは「95ヶ条の提題」を発表。普通、世界史の本ある...
2020.07.03 03:15「マルティン・ルターと宗教改革」5 「塔の体験」 ルターの内面は、「塔の体験」によってすべてが変わったと言っていい。修道院に入って以来の、いやおそらくはその前から漠然とではあれずっと感じていた不安、混乱、苦しみが消えたのだ。「天国に入ったようだ」とさえルターは言っている。一体この「塔の体験」とは何だったのだろうか?「塔」とはヴ...
2020.07.02 02:08「マルティン・ルターと宗教改革」4 「怒り裁く神」 大学中退、修道院入りという人生の大転換が落雷との遭遇によってなされた、とされるが、この有名なエピソードは後になってルター自身が語ったもので、実際にその恐るべき落雷を見たものは誰もいなかったと言われる。ルターは、そのとき体験した感覚を落雷の話にたとえたということのようだ。いずれに...