「マルティン・ルターと宗教改革」10 「賛美歌と木版画」

 ヴァルトブルク城に匿われたルターが新約聖書のドイツ語訳に専念している間にも、熱心な弟子たちの活動によって、彼の教えは各地に浸透していった。もちろん書物の果たした役割は大きかった(ドイツで刊行された書物は、1519年には111点だったが、1523年には約500点に増えた。その8割が宗教改革関連の本だった)が、それでも、ライン河沿岸の先進都市でさえ読者層は限られていた。そこで他の布教方法も採用された。音楽や絵画である。これらは、文字の読めない民衆の心をとらえるうえで効果的だった。

 1523年には、ルターの作ったドイツ語の賛美歌が紙に貼られ、町から町へと歌い継がれていった。それまで聖歌隊のみによって歌われていた賛美歌が一般の参列者にも歌われるようになったのは、礼拝において民衆がただ聞き手となるばかりでなく積極的に参加できるように、また文字を読めない者たちにも賛美歌を通じて教えを伝えられるように、との配慮からである。ルターはその音楽的素養を発揮して多くの賛美歌を作ったが、彼の作品とされる賛美歌36篇のうち24篇が、ルター派の進展著しかった1523年と1524年に作られていることからみても、彼が歌の持つ力をよく理解し、民衆の精神生活の一助として利用しようとしたことが窺える。ルターの賛美歌は、彼の聖書以上に幅広い層に強い影響を及ぼしたと言えるだろう。ちなみにルターの作ったもっとも有名な賛美歌は「神はわがやぐら」。1527年の作で、初期のプロテスタントに革命歌として歌われたが、後にバッハがこの賛美歌を用いたカンタータを作ることになる。しかし、暗い歴史も背負っている。1930年代、ナチスはドイツ的キリスト教の確立に向けた大衆運動を推進したが、その時ドイツにおけるキリスト教の英雄としてルターを担ぎ上げた。そして、示威活動の一環として街中を練り歩くとき、「神はわがやぐら」を自分たちの行進歌として利用したのである。

 ルター自身の肖像画も、廉価版で大量に出回った。民衆がルターを聖人視することも稀ではなく、「ルターはいかなる罪も免れている」と公言する者さえいた(「偶像崇拝」の誘惑は、人間にとってなんと根深いものだろうか!その誘惑から自由になるには、己の内面の闇と向き合い続けることを通して人間をリアルに把握するしかないように思うのだが)。対照的に、カトリックの聖職者たちは辛辣な風刺の対象となり、無知な高位聖職者、強欲で好色な修道士、反キリストの教皇、信者たちを顧みない性悪な司祭などの姿が、数限りない図版に描かれていった。こうした図版は、民衆に改革理念を伝えるために利用されたパンフレットやビラに木版画として多用された。例えば、ルターにウォルムス勅令が発せられた時期に発行された「キリストの受難とアンチ・キリストの受難」というパンフレット。それは13対の小木版画(12㎝×9.6㎝)の下に10行足らずの文章が付されたものだが、キリストの生涯の一場面とアンチ・キリスト=教皇の生活をそれぞれ対比させ、厳しい教皇批判を展開したものだった。

 ドイツは次第に改革の波に洗われていくが、様々な困難にも直面する。第一は、プロテスタント陣営内部の対立。特に後の歴史に大きな傷を残したのは、スイスの宗教改革者ツヴィングリとルターの決裂。皇帝カール五世の圧力に対抗する軍事同盟を目指し、神学的調停を図るため、1529年 10月1~4日「マールブルク会談」が設定されたが、一つの論点をめぐって決裂。その論点とは、「聖餐問題」。聖餐式で食されるパンとブドウ酒をどのように理解するか、という点。ツヴィングリは、そのパンとブドウ酒はキリストの最後の晩餐を象徴的に記念するものにすぎず、その中にキリストが実在するわけではない、とした(象徴説)。それに対しルターは、「これは私の体である」とのキリストの御言葉をそのままに受け取ろうとする(「神は全能である。その神は『これは私の体である』と言われる。それゆえ御体はパンの中になければならない」)。すなわちそのパンとブドウ酒に目には見えないがキリストが現に存在するとした(現在説)。

 「聖餐論」以外の問題についてはほとんど一致していた二人だったが、この一点が両者ともどもに譲れず、プロテスタント陣営の大同団結は夢の泡と消える。その後ツヴィングリはジャン・カルヴァンの改革運動と合流して、ルター派とは別の改革派となっていく。このようにしてプロテスタント教会は大きくルター派と改革派に分裂したのだ。

ルーカス・クラナッハ「律法と福音」ゲルマン国立博物館 ニュルンベルク

 絵の中央に一本の木が描かれ、左右に二分された部分絵が対比されている。左側の木の枝には葉が一枚もないのに対し、右側の枝には青々と茂る葉が描かれ、左側が旧約の世界、ひいてはカトリックの世界、死を暗示しており、右側が新約の世界で、ルターの教え(信仰義認論)、生を伝えている。


ルーカス・クラナッハ「律法と福音」木版画

ルーカス・クラナッハ「キリストの受難とアンチ・キリストの受難」

 右側の木版画の下にはこう書かれている。

「アンチ・キリスト=教皇が自らを神と見なし、教会の座に鎮座している。彼は聖書を無視し、贖宥状やバリウム(大司教用肩衣)を売って金儲けをし、法律をつくっておいて、金銭とひきかえにそれに違反する。その上で自分の声を神の声として聞くように要求する」

ハンス・バルドゥング・グリーン「マルティン・ルター」 聖人視されたルター

「ルターのリュート伴奏に合わせて歌う彼の子どもたち」ライプツィヒ造形美術館

ハンス・アスパー「ツヴィングリ」ヴィンタートゥール美術館

クリスティアン・カール・アウグスト・ノアック「マールブルク会談」

クリスティアン・カール・アウグスト・ノアック「マールブルク会談」 部分

 激しく論争するルター(左)とツヴィングリ(右)

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