「フランスの宮廷と公式愛妾」11 ディアヌ・ド・ポワチエ(6)アンリ2世の死
優れた指導者の資質の一つに「感情、特に報復感情からの解放」があげられる。確かに、フリードリヒ2世にシュレージエンを奪われたマリア・テレジアはシュレージエン奪還を合言葉に国家の大改造、中央集権化を実現したが、あまりにそこにこだわりすぎて七年戦争で多大な犠牲を生んでしまい後悔することになった。マリア・テレジアほどの英邁な君主にしてそうなのだから、「報復感情」がやっかいな代物であることは間違いない。完全にそれから自由になることなどおそらく不可能だろうが、大切なことはそれを現状変革のエネルギーに昇華させること、その感情に対抗できるだけの構想、展望、思想、哲学(宗教もその役割を果たすことがあると思う)を身につけることが大切だろう。この点、カトリーヌの夫アンリ2世はおよそ優れた国王、指導者とは言えない。スペインの牢獄でのつらい人質生活を送って以来、皇帝カール5世へのアンリ2世の恨みは深く根強かった。当時のヴェネツィア大使はこう語っている。
「国王は皇帝を憎んでおり、その憎しみをあからさまに示しています。国王は皇帝に対して、宿敵中の宿敵に望みうる限りの害悪がふりかかるよう待ち望んでいます。この怨恨はあまりにも深いので、それをとりさってくれるものはただ、この宿敵の死か徹底的な滅亡だけでしょう!」
そして1551年、アンリ2世は神聖ローマ皇帝カール5世に宣戦布告。再びイタリアを舞台に戦争が再開される(「第六次イタリア戦争」)。アンリ2世はイタリアの再征服およびフランスのヨーロッパにおける権威の確立を目論んだが、最終的には失敗。1559年4月3日、アンリ2世とフェリペ2世(1556年1月16日、父カール5世の退位によりオーストリアを除く領土を受け継ぎ、スペイン王フェリペ2世として即位)の間で「カトー・カンブレジ条約」が結ばれた。フランスはイタリアに有していた領地のほとんどすべてを失い、イタリアはスペイン・ハプスブルク王朝一色に塗りつぶされる。フランスがそれでも和議を急いだのには理由があった。とみに危険なものになってきている、急速な新教徒(ユグノー)の活動である。フランスはそれまで外に向けていたエネルギーの一切を集約して、一気に国内の異端撲滅に向かおうとする。
ところで「カトー・カンブレジ条約」には、二つの結婚の取り決めもあった。王妹のマルグリットとサヴォイア公の結婚、王女エリザベートとフェリペ2世の結婚である。そしてこのふたつの結婚を祝うための大祝賀祭の中で騎馬試合がおこなわれることになった。それを知った時から、カトリーヌは不安に駆られていた。その理由は二つの不吉な予言。ひとつは占星術師シメオニが7年前の1552年に語った予言。
「国王は、囲いのある場におけるすべての一騎打ちを避けなければなりません。特に、41歳のころには、恐ろしい不幸が待っているからです」
アンリ2世はそのとき40歳だった。もうひとつは、あの有名なノストラダムスが1555年に発表した『世紀別史書』の中で述べている予言。
「若き獅子、老いたる獅子に打ち勝つ 戦いの場での一騎打ちの決闘の最中
金の檻の中、目がつぶれ ふたつの階級のひとつ、やがて息絶える、残酷な死」
この予言が現実となる。モンゴメリー伯との馬上槍試合において、偶発的に右目を貫かれ、脳にまで達した傷がもとでアンリ2世は死亡したのだ。主人を失った寵姫の運命は惨めだった。あれほどの権勢を誇り、あらゆる公の場で国王の隣席に女王然として控えていたディアヌ・ド・ポワチエの命と財産は今やカトリーヌの手に握られている。カトリーヌによってディアヌが全財産を剥奪され、バスティーユに投獄されて秘密裏に抹殺されたとしても、だれも驚く者はいなかっただろう。カトリーヌには、それだけのことをする理由は十分にあった。しかし彼女が要求したのはシュノンソー城(しかも強奪ではなく、カトリーヌの居城ショーモン城と交換)と二度と宮廷に足を踏み入れないこと、それだけだった。カトリーヌの寛大さは人々の度肝を抜いた。しかしそれは彼女の高い政治的判断に基づくものだったと思う。夫アンリ2世の死が彼女に残したものは、7人のいまだ幼い子供たちと二宗教間に分裂し、経済恐慌に打ちひしがれた王国。そして、宗教によって分裂状態になったフランスの危機につけ込んで自らの属国にしようと狙っているスペイン(旧教国)、イングランド(新教国)を始めとする列強。それらに単身で立ち向かっていかねばならないカトリーヌは、過度の復讐で無用な敵を生み出すことを避けたのだろう。
ジェルマン・ド・マニエ「カトリーヌ・ド・メディシス」ピッティ宮殿
アントニス・モル「フェリペ2世」エル・エスコリアル
アンリ2世
アンリ2世とモンゴムリ伯爵ガブリエル・ド・ロルジュの間の馬上槍試合
フランソワ・クルーエ「ディアヌ・ド・ポワチエ」コンデ美術館
0コメント