「感染症と人間の物語」18 シェイクスピアとペスト①『ロミオとジュリエット』

 シェイクスピアの人気の悲劇『ロミオとジュリエット』。実は物語の展開上、ペストが重要な役割を果たしている。ヴェローナの2つの名家、キャピュレット家とモンタギュー家は仇敵同士。ところが、モンタギュー家の一人息子ロミオとキャピュレット家の一人娘ジュリエットとが互いに一目惚れ。ロレンス神父はこの縁組が両家の和解を導くこともあろうかと一肌脱いで二人をひそかに結婚させる。しかし、ロミオは喧嘩に巻き込まれて、ジュリエットの従兄弟ティボルトを殺し、ヴェローナを追放される。一方、ジュリエットはパリス伯爵との結婚を両親に命じられる。ロレンス神父は一計を案じ、ジュリエットを薬で仮死状態にして葬らせ、蘇生後にロミオと駆け落ちさせようとする。この計画を成功させるには、ロミオにその手はずを知らせなければならない。ロレンス神父はその役目をジョン修道士に命じるが目的を果たせない。そのためジュリエットの死の知らせを受けて墓に駆けつけたロミオは、ジュリエットが仮死状態であるとも知らず絶望する。

「ああ、ジュリエット、なにゆえにおまえはまだ美しい?うつろなはずの死神までがおまえに恋心を燃やしているのか?」

 彼は最後の口づけをすると、「おまえのために、愛する妻」と叫んで毒を飲む。しばらくして目覚めたジュリエットは、横たわっているロミオを目にして彼が毒を飲んで死んだことを知る。

「ああ、ひどい、すっかり飲みほして、あとを追う私に一滴も残さないなんて。その唇に口づけを。そこにまだ毒が残っているかもしれない。それで死ねれば、あの世でほんとうのいのちを。」

 そしてロミオの剣をとると、「この胸がおまえの鞘。そこにお眠り」と自らを刺し、倒れ伏した。

 ではなぜジョン修道士はロミオに手はずを知らせられなかったのか?それは彼が偶然ペスト患者が出た家に居合わせたため、家に閉じ込められてしまったのだ。その事情をジョン修道士はロレンス神父にこう説明する。

「実は道連れを一人ほしいと思いましてね、ちょうど同門のさる托鉢僧が、この市の病人見舞いに来合せていましたのを、探しあてたまではいいのですが、あいにく町の検疫官どもが、われわれ二人を、怖ろしい伝染病患者の出た家に居合わせたという疑いで、戸口は封印するし、一切外出を禁止してしまったのです。」(シェイクスピア『ロミオとジュリエット』第五幕第二場)

 この場面を理解するには、1578年に枢密院が作成したペスト対策のための命令を知る必要がある。17項目あるが特に重要なのは、感染者が住んでいた家はすべて、最低6週間は板で囲われ、家族や召使いは、感染のあるなしにかかわらず家の中に閉じ込めるという命令。しかも、誰も外に出ないように見張りを立てる。この命令によってジョン修道士もロミオと連絡が取れなくなってしまったのだ。

 ところで、信じがたいことだが、このようなペスト患者が出た家族の付き添いを買って出て、一緒に閉じ込められ、掃除や料理、看護をしてくれた年老いた貧しい女性たちがいた。理由はお金。付き添いは命を落とす可能性が高いが、十分な報酬が支払われたからだ。鉱山の浸水事故の際に、命の危険を冒して排水路から坑内に入る坑夫に2ポンドの報酬が支払われたが、これはその貧困女性版である。しかし、いったん家のドアや窓に板が打ち付けられると、その監禁状態は数か月に及ぶ可能性がある。バークシャー州バックルベリーに住んでいたトマス・スモールボーンの場合、まず彼と彼の義母が、次いで彼の息子と妻が死に、家にいるのは残された子どもと召使いだけになった。家は8か月の間、板を打ち付けられたままで、結局生き残ったのは召使だけだった。

 エリザベスの治世の間に何人がペストで死亡したのか、正確なところはわからないが、おそらく全部で25万人前後と推定されている。ロンドンのペストによる死者数は次の通り。1563年17404人、1578年3568人、1582年3075人、1593年10675人、1603年32257人。シェイクスピア【1564年~1616年】が活躍したのは、このようにしばしばペスト禍に襲われたロンドンの町だったのであり、『ロミオとジュリエット』にもそれが反映している。

映画「ロミオとジュリエット」1968年

 監督:フランコ・ゼフィレッリ ジュリエット:オリヴィア・ハッセー

 ロミオ:レナード・ホワイティング  音楽:ニーノ・ロータ

ロミオの死に絶望し、彼の剣で胸を刺すジュリエット

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