「感染症と人間の物語」17 「コロンブス交換」②梅毒
梅毒の起源については、ヨーロッパ起源説とアメリカ起源説があり、いまなお議論が続いているようだが、梅毒に関する記録はコロンブス以前のヨーロッパにはまったくみられない。ヨーロッパに梅毒が姿を現したのはコロンブスによる第一次航海のすぐあとの1493年。だから、梅毒はコロンブス一行によってカリブ海地方から持ち帰られたと考えられる。梅毒がヨーロッパに初めて姿を現した時の光景を、当時のセビリアの医師ルイ・ディアス・デ・イスラが論文「Serpentine Malady (1539)」 の中でこう記している。
「この病気は、コロンブス一行が第1回の航海の際、エスパニョーラ島(今のハイチ島)から持ち帰ったものである。この島のインディアンのあいだでは昔からこの病気があり、コロンブス一行の船員が上陸したとき、この風土病にかかり、病気を持ったまま帰航した。1493年コロンブスが晴れの凱旋をして、バルセロナで保護者のイサベラ女王と謁見し、航海の成功を報告している最中、この奇病ははやくもバルセロナ全市に流行してしまった。翌1494年、フランス王シャルルがイタリア遠征軍を編成したとき、各国から傭兵を募ったが、このなかにこの病気を貰ったスペイン人がたくさんまじっていた。その結果、フランス軍がイタリアに進駐しているあいだに、イタリアでこの病気が疫病的に爆発し、またたくまにヨーロッパ全土にひろがってしまった、というのである。」
当時梅毒はイタリア、神聖ローマ帝国などでは「フランス病」、フランスでは「ナポリ病」、「イタリア病」、オランダでは「スペイン病」と呼ばれていたが、こうした国名を冠した名称は一般的に、当時の国家間の政治的対立を反映したものであり、一種のプロパガンダとして頻繁に利用された。いずれにせよ梅毒は、1495年ドイツ、フランス、スイスに出現し、1496年にはオランダ、ギリシャに、1497年にはイングランドとスコットランドへ、1499年にはハンガリーに、またポーランド経由でロシアにも波及した。梅毒はルネサンスの時代を通じてヨーロッパでの主要な死因であり、ヨーロッパで100万人以上の人々が感染したと試算されている。
このヨーロッパにおける梅毒の急速な流行にはルネサンスという時代背景があった。ルネサンス時代のヨーロッパは、性の抑圧という中世的思想から解放され、売春という社会的なはけ口が急速に繁栄していたのである。そのため、当時のヨーロッパでは、どんな小さな町にも公認の売春宿があり、宿屋や浴場はほとんど売春を兼業していた。ローマでは15世紀末、未公認の遊女だけで6800人以上を数えたというし、1509年のヴェネツィア(人口10万人)には1万1654人の売春婦がいたというから驚く。政府は娼婦の取り締まりを行ったが全く効果はなかった。1514年には、娼婦に税金をかけてアルセナーレ(国営造船所)の浚渫事業にあてる政策をとったほどである。
梅毒がどのような疫病かは、18世紀のフランスの啓蒙思想家ヴォルテールの名作『カンディード』に活写されている。楽園のような故郷を追放された主人公の若者カンディードは、放浪中恩師の哲学者パングロスに邂逅する。梅毒に侵されたその姿にカンディードは仰天する。
「からだじゅう吹き出物だらけで、目に生気がなく、鼻先は崩れ、口はひん曲がり、歯は真っ黒で、声はしゃがれ、ひどい咳に苦しんで、気張るたびに歯を一本ずつ吐き出さんばかり」
どんな災難におあいになったのかとたずねるカンディードに、パングロスはこう答える。
「いやさ、カンディード、まあ、聞いてくれ。君はパケットを知っていようが。あの凛とした奥方の器量の良い腰元な、わしはあの娘の腕の中で天国の楽しみを味わったが、そのためにもらったのが、ごらんのとおり、この身をさいなまれる地獄の責め苦じゃ。あの子にも毒気がうつっていたのだから、大方もう死んでしまったことだろう。パケットはこのお土産をある善知識からもらったので、この坊主が源迄さかのぼって究めたところによると、彼はこの病気をさる伯爵の老婦人からもらい、その奥さんはある騎兵大尉から、騎兵大尉はある侯爵の奥方から、その奥方はお小姓から、お小姓はジェズュイットの坊主から、坊主はまだ修業中に、クリストファ・コロンブスの仲間の一人から直々にもらったのだそうな。」
映画「娼婦ベロニカ」
16世紀後半のヴェネチアを舞台に、実在の高級娼婦ベロニカ・フランコの半生と貴族の青年・マルコとの愛を描いたドラマ
ティントレット「ヴェロニカ・フランコ」ウースター美術館
ティントレット「胸を露わにする女性の肖像」プラド美術館
高級娼婦ヴェロニカ・フランコがモデルとされる。ティントレットの代表的肖像画
ヴェネツィアには「ポンテ・デッレ・テッテ Ponte delle Tette」(乳房の橋)という名前の橋がある。この橋のたもとの建物の窓辺に、乳房を出した娼婦が並び、道行く男どもを誘惑したという。下の写真がそれ。
デューラー「梅毒病者シフィリス」
レンブラント「ヘラルト・デ・ライレッセの肖像画」メトロポリタン美術館
デ・ライレッセは、自身も画家で芸術理論家であったが、先天性梅毒に悩まされ、顔はひどく変形し、最終的に盲目となった
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