「感染症と人間の物語」2 1348年フィレンツェ(2)ボッカチオ『デカメロン』②田舎の別荘への避難

 『デカメロン』は、1348年フィレンツェに黒死病が大流行した頃、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会前で出会った10人の青年男女が感染を避けてフィレンツェ郊外の山荘に集まり、休養がてら10日間にわたって、各自一日一話ずつ楽しい話を交わすというストーリーである。「著者序」のなかでボッカチオはこう書いている。

「私は百のお話をいたすつもりでございます。その中には作り話も寓話も愚話も実話もございますが、それらは七人のうら若い淑女と三人の青年紳士の一団が最近のあの死の恐怖のペストが猖獗を極めたころに集まって十日の間にお話しなさったものでございます。そしてその 際、余興としてその同じ淑女方によってうたわれたいくつかの歌もございます。それらもやはり私の口からご披露させていただきます。これらのお話の中には楽しい恋の物語もあれば辛く悲しい物語もございます。また運命の有為転変の事件もございます。そんな昔や今のお話を先刻申しあげたご婦人方でこれからお読みになる方は、その中に示された心慰められる 事柄からは愉しみやお役に立つ助言や忠告を汲みとることもおできになりましょう。また心して避けるべきことも、見習うべきこともお認めになりましょう。そうしてその話に惹き込まれて悩み苦しみを一時お忘れ になることかと存じます。」

 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会にたまたま集まり、輪のような恰好になって座っていた7人の淑女。その中で最年長のパンピーネアが市中の状況を説明したうえ、田舎の別荘への避難を提案する。

「ここから一歩外へ出ると、死体やら病人やらが次々と運ばれて行くのが見えます。また悪行や犯罪のため にすでに当局によって罰せられて市外追放の処分を受けた者どもが、法律の執行者が死んだり病気に罹ったりしたのをいいことに、お上の法律を嘲笑うかのように、市中を横行闊歩しています。またこの町の最下層 の屑どもが、わたくしわたくしどもが血を流すのに昂奮して、墓掘人夫とか死体運びとか自称してわたくし たちに嫌がらせを働こうといたるところ馬を走らせて、わたくしたちの不幸を笑いものにした下卑た歌を高吟しながら駆け巡っています。わたくしたちがそうした場所で耳にするものとては「誰それは亡くなった。 誰それは死にそうだ」 というお話 ばかりです。泣いてくれるような人がまだいたとしても、口から出るのは苦悩苦痛の呻きばかりでしょう。家へ帰れば、皆さまの場合はどうか存じませんが、以前大勢いたわが家 の召使で残っているのはいまはもう小間使一人だけ、もう恐くて怖ろしくてたまりません。ぞっとして髪の毛が逆立つ思いでございます。どの部屋を通っても、死んだ者の影が見えます。どこかの部屋にはいって戸 を立てても、やはり亡霊の影が浮かびます。生前の顔立ちではなくそれは怖ろしい様をして、つい先日もどこからともなく現われてわたくしをぎょっとさせました。・・・お金持の中でまだ当地に居残って、もはや善悪是非をわきまえず、欲望に身をまかせ、単身であろうが仲間とであろうが、夜も昼も、快楽に耽っている方も確かにおられます。世俗の方とは限りません。願を立て掟に縛られたはずの修道院内の方々も、掟を破り肉体の欲望に身をまかせてこそ浮かぶ瀬もあれと思い込み、平然と色事に耽るようになりました。見るもの聞くものこんな有様でございます。・・・なんと多くの若い男女がこのペストという残酷な天譴の生贄となったことでしょう。そのことを何遍思い返せば、皆さまは得心なさるのでしょうか。淑女ぶった度の過ぎた引っ込み思案や健康には自信があるという自惚れやらのために、二度と取り返しのつかぬ羽目に落ち込んでしまうことのないようお気をつけくださいませ。そう、皆さまもわたくしと同感でいらっしゃいますか。もしそうならば、わたくしたちは良家の子女らしく、すでに何人かの方がわたくしたちより 先になさったし今も次々となさりつつあるように、この市中での不行跡、不品行を避けて ─ あのような慎みを忘れたふしだらな所業こそ避けて通りたい死神でございます ─ 田舎の地所へ避難するのが上策と信じます。わたくしどもは幸い田舎に別荘を持っております。そちらへ参って慎み深く逗留することにいたしませんか。そこでゆったりと休息し、何事につけても理性の枠を越えず、楽しく朗らかに過ごそうではございませんか。」

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 「デカメロン」レディ・リーヴァー美術館

タッデオ・クリヴェッリ 『デカメロン』挿絵(1467) サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の10人の若者

19世紀 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

現在 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

15世紀のミニチュアのペスト患者

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