「感染症と人間の物語」3 1348年フィレンツェ(3)ボッカチオ『デカメロン』③ルール

 三人の若者も加わり、一行は出発しフィレンツェ郊外のフィエゾレの丘に近い山荘に落ち着く。そして

女性最年長28歳のパンピーネアがそこでの生活のルールを提案する。このルール、今の我々が実行しても楽しそう。

「ここでは陽気にお祭り気分で皆さん暮らしたいのです。それだけが理由でわたくしたちは市中の悲惨から 逃げ出して来ました。しかしそうは申しても、なにか規則をきちんと立てませんと、何事も長続きはいたし ません。わたくしがこの話のいいだしっぺでございます。そのお話のおかげでこんな素晴らしいお仲間ができました。わたくしたちの喜びや楽しみが続くように思案しますと、どなたか一人この一行を主宰すべき上 に立つ人を選ぶことがどうしても必要ではないかと思われます。その方をわたくしどもは上司として尊敬し 服従することといたしましょう。そしてその方にはわたくしたちがしあわせに暮らせるよういろいろ配慮していただくようお願いいたしましょう。そのような気配りすることの重責と命令することの喜びを、その辛さ楽しさの双方とも、めいめいに体験していただくために、一人に一日ずつその重責と名誉とを振当てて、 誰一人自分にはその番が回って来なかったなどという不満の生じることのないようにいたしましょう。・・・そしてこのようにして長に選ばれた者は、主宰するよう許された時間や場所や暮らし方について、ご自分の 判断で自由にとりしきって命令をお下しください」

 それから約2週間、一行は楽しい日課を過ごす。読書、森の散策、楽器を奏で、歌や踊りに興じたり、沐浴や室内遊戯で時を過ごす。そして、午睡のあと爽やかな林間の泉のほとりの草原に集って、日課の中心となる楽しい話に花が咲く。この話についても、1日目と9日目こそ自由テーマだったが、それ以外はその日の主催者によってテーマが与えられた。以下がそのテーマ。

2日目  さまざまの運命に苦しめられたのち、予期しなかった幸福な結果を得た人物の話

3日目  ながいあいだ熱望していたものがやっと手に入った人、あるいは一度失ったものを取り戻した人の物語

4日目  その恋が不幸な結末をとげた人たちの物語

5日目  恋人が残酷な不運な事件の後で、幸福になる話

6日目  当意即妙な返答でやり返したり、打てば響くようなうまい返事で、危険や嘲弄を逃れた者の話

7日目  婦人たちが恋のためにその夫を愚弄する話

8日目  男が女に、また女が男に、あるいは男対男で、いつもやっているペテンやだまし合いについての話

10日目  愛やその他のことについて寛大に、鷹揚に何かをなしたものの話 

具体的に見てみよう。例えば、3日目第1話「マゼットと尼僧」

美男子だが小作人のマゼットは、聾唖、知的障害者をよそおってある尼僧院の庭師となる。この尼僧院の尼さんたちはみんな若い。院長も含めて性的なことに興味津々の尼僧たちは、マゼットが障害者であるのをいいことに各自こっそりと性交渉を楽しむ。さすがにマゼットも体がもたなくなり、「神様のおかげでしゃべれるようになった」と口をきき、院長に対して尼僧たちと交わったと告白。マゼットはそのまま居着き、尼僧たちの何人かは子どもができて、本人は養育費を払うこともなくお金をためることができた。

 もうひとつ、紹介する。7日目第2話「ペロネッラと大樽」

ペロネッラが愛人を連れ込んでよろしくやっている最中夫が突然帰ってきた。彼女はあわてて愛人を油や酒を入れておく大樽の中に隠した。帰ってきた夫がいうにはその大樽を五デナリで買いたいという人を見つけたという。利口な彼女は、「私は七デナリで買いたいという人を見つけた、今その人が、樽を調べている」と隠れている愛人に聴こえるように大声で話した。そこで愛人も口裏を合わせてまんまと夫をだます。愛人は樽の中から外へ躍り出るや、樽の内側を夫に削り直させ、その樽を夫に担がせて自宅へ引き揚げる。

少しはイメージがわいただろうか。100話のうちの多くが、エロティック・コメディ。『デカメロン』は、実は明治43年にもうすでに日本語訳が出ていたが、戦前はことごとく「発禁」。それもうなずける。自分にとっては抱腹絶倒のストーリーのオンパレードなのだが。

フランツ・ヴィンターハルター「デカメロン」リヒテンシュタイン美術館

ペロネッラと充分たのしんだ愛人は、何も知らない夫にきれいになった大樽を家に運ばせた

マルク・シャガール『デカメロン』挿絵 樽の中(左下)で働く夫をよそに、愛人とたのしむペロネッラ


修道院に入る許可を求めるマゼット  修道女とキスをするマゼット

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