「ナポレオンとトルストイ『戦争と平和』」21 アンドレイ公爵⑪

 トルコにいたアンドレイは、1812年、ナポレオンとの開戦の報が届くと、クトゥーゾフに西部軍への転属を依頼する。そしてその途中、実家に立ち寄る。そこで、生まれて初めて父親を非難する。

「彼は自分の心のうちをさぐってみたが、父を怒らせたことに対する後悔も、生まれて初めて父と口論したまま、父のもとを去ることに対する心残りも、見出すことができないで、恐怖に似たものを感じていた。何よりも恐ろしかったのは、息子を膝の上に抱き上げて、愛撫したら、心の中にわいてくるものと思っていた、あのまえのような息子に対するやさしい愛情が、いくらさぐっても、自分の心の中に見出せぬことだった。」

 老父と別れの挨拶もしないまま戦争に出かけようとするアンドレイに妹マリヤは言う。

「『悲しみは神によって送られるものです。人間によってではありません。人間は――神の道具です、人間に罪はありません。もしもだれかがあなたに対して罪があるように思われたら、それを忘れて、ゆるしてあげなさい。わたしたちには罰する権利はありません。そしたらお兄さまもゆるすことの幸福がおわかりになりますわ』」

 それに対してアンドレイはこう答える。

「『もしぼくが女だったら、そうしただろうよ、マリィ。それは女の美徳だよ。しかし男と言うものは忘れることも、ゆるすことも、してはいけないし、できないのだよ』と彼は言った。そして、その瞬間までクラーギンのことなど考えていなかったのに、ふいにはらされぬ怨恨がむらむらと彼の心の中にわき上がった。」

 こんなアンドレイが、やがて婚約者ナターシャを誘惑したクラーギンを許すことになるが、そこに至るまでにはまだまだ多くの試練を得なければならない。6月末、アンドレイは総司令部に到着。当分司令部にいることになる。そして、そこにいると思っていたアナトーリ・クラーギンはペテルブルグにいることがわかった。

「・・・この知らせがボルコンスキイをむしろほっとさせた。進展しつつある巨大な戦争の中心にいる興味がアンドレイ公爵をのみこんだ。そして彼は、クラーギンをおもうたびにかきみだされる気持ちから、しばらく解放されるのがうれしかった。」

 皇帝から勤務の希望をたずねられたアンドレイは、皇帝の側近にとどまることを望まず、野戦軍に勤務する許可を請う。こうしてアンドレイは宮廷の世界から永久に姿を消すことになった。

東進するナポレオン軍に対して、ロシア軍はスモーレンスクから後退を続けていた。アンドレイの指揮する連隊もその中にあった。連隊の規律や、兵たちの状態や、命令の受理伝達などに心を奪われていたアンドレイにとって、スモーレンスクの炎上と放棄は画期的な事件だった。

「敵に対する憎悪の新たな感情は彼に自分の悲しみを忘れさせた。彼は自分の連隊の運命にすっかり心を打ち込み、部下の将兵たちの安否と、彼らに愛情を注ぐことに心を砕いていた。連隊の将兵たちは彼をおらが公爵と呼び、彼を誇りにし、彼を愛していた。しかし彼がやさしく親切にしていたのは、自分の連隊の将兵、育った環境もまったくちがうチモーヒンその他の人々、つまり彼の過去を知ることも理解することもできない人々に対してだけで、自分のかつての仲間や参謀部将校のだれかに出会ったりすると、たちまちまたはりねずみのように心の針を逆立て、毒のある、あざけりとさげすみの態度に一変するのだった。思い出が過去と結びついているものはすべて、彼の心を突き放した。」

 8月8日アンドレイ一家(アンドレイの父、妹、息子たち)は、迫りくるナポレオン軍から避難するためモスクワへ移る。病気の老父は、8月15日死去。8月8日に最高司令官に任命されたクトゥーゾフは、アンドレイに総司令部に出頭するように命じる。そしていよいよボロジノの会戦(8月26日)をむかえる。

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