「ナポレオンとトルストイ『戦争と平和』」4 アウステルリッツの戦い④

 「アウステルリッツの戦い」は″戦争芸術の粋″と呼ばれる。連合軍8万7千、フランス軍7万3千。兵力の劣勢を戦略(味方の陣形にわざと隙を作り、そこを敵軍に総攻撃させて、敵の布陣を崩して攻める作戦)で補った、ナポレオン会心の戦いだった。会戦後にナポレオンが行った兵士たちを讃える演説(O.オブリ『ナポレオン言行録』大塚幸男訳 岩波文庫)。

「兵士たちよ、私は諸君に満足している。

諸君は、アウステルリッツの戦いにおいて、私が諸君の勇敢にかけた期待を裏切らなかった。諸君は諸君の軍旗を不滅の栄光によって飾った。ロシア皇帝とオーストリア皇帝の指揮する10万の軍は、4時間足らずして、分断され四散させられた。諸君の砲火を免れた者も湖に溺れて死んだ。ロシアの近衛隊の40本の軍旗、120門の大砲、20人の将軍、3万以上の捕虜が、永久に栄光に輝くこの日の戦果である。諸君にはもはや恐れるべき敵はいない。

兵士たちよ、我々の祖国の幸福と繁栄のために必要なことがなされたときには、私は諸君をフランスへ帰すであろう。国民は諸君の帰還を喜ぶであろう。そして諸君は、「アウステルリッツの戦いに加わっていた」と言いさえすれば、こういう答えを受けるであろう。「ああ、この人は勇士だ!」と。」

パリにはナポレオンとその軍隊の戦勝の誉れをうたう様々なモニュメントがあるが、帝政期最高のモニュメントは「ヴァンドームの円柱」。帝政期に建造された数多くのナポレオン・モニュメントのなかで、その圧倒的な高さからして、その威圧的な大きさからして、その巧緻な装飾からして、これに匹敵するものはほかにない。これは、アウステルリッツの会戦を顕彰するモニュメントで、円柱をらせん状に蔽っているブロンズ製のレリーフ425個(総延長273m)は1200門の捕獲大砲を改鋳して作られた。

 アウステルリッツの戦いは、オーストリア皇帝フランツ1世とロシア皇帝アレクサンドル1世も出陣していたので「三帝会戦」と呼ばれるが、2人の皇帝を降したナポレオンはヨーロッパの覇者の相貌を取り始める。この時から、ナポレオンはヨーロッパの地図を次々と塗り替えてゆく。1806年3月に兄ジョゼフをナポリ国王にしたのを皮切りに、兄弟姉妹たちを次々にヨーロッパ各地の玉座にすえてゆく。1806年7月にはドイツ領邦国家を集めた「ライン同盟」の盟主となった。この結果、長い歴史を誇る神聖ローマ帝国は消滅した。

 ライン同盟の盟主となったナポレオンの狙いは、明らかにプロイセン侵略にあった。プロイセンは先手に出る、いやナポレオンの挑発に乗せられたといったほうがいいだろう。ロシアと軍事同盟を結びフランスに戦いを挑む。しかしナポレオンはイエナ、アウエルシュタットでプロイセン軍を撃破してベルリンに入城(1806年10月27日)。ナポレオンはさらに東進してアイラウ(1807年2月8日)とフリートラント(同年6月14日)でロシア軍を降す。アイラウの戦いは、ロシア軍の死傷者3万に対してフランス軍も2万5千というとてつもない大消耗戦だったが、フリートラントの戦いは、フランス軍の死傷者8千人に対してロシア軍の戦死者2万5千人で、ロシア軍を完膚なきまでに打ち破った。

 6月25日、ニーメン川の上にしつらえられた筏の上で、ナポレオンはロシア皇帝アレクサンドル1世と会見した。ナポレオンは、フリートラントの戦いでボロ勝ちしたにもかかわらず、あえて寛大な講和条件を若き皇帝に提示し、ロシアをフランスの味方に引き入れて、イギリスと戦うことを約束させた。ロシアの宮廷ではフランス語が公用語だったこともあり、アレクサンドルは完璧なフランス語を話した。そのため、2人の皇帝は水入らずで話をすることができた。ナポレオンはこの年下の皇帝を魅惑し、自分に心酔させることができたと思ったが、アレクサンドルのほうでは、ナポレオンにそう思わせることで有利に講和を進めたいと考えていた。アレクサンドルは若さに似ず、外交的なしたたかさをそなえていたのである。その結果、ロシアは戦いに負けたにもかかわらず、領土を失わなかったばかりか、ナポレオンから、フィンランド(スウェーデン領)とバルカン半島南部(トルコ領)へ進出する許しさえ得ることができた。ナポレオンはアレクサンドルに、いずれ、2人でトルコを分割しようではないかとも言った。

ヴァンドーム広場

シャルル・ヴェルネ、ジャック・フランソワ・ゼーバハ「アウステルリッツのナポレオン」

「会戦後のナポレオンとフランツ1世との会見」ヴェルサイユ宮殿

アントワーヌ=ジャン・グロ「アイラウの戦いのナポレオン」ルーヴル美術館

オーラス・ヴェルネ「フリートラントの戦いのナポレオン」フランス歴史美術館 ヴェルサイユ

アドルフ・ロエン「ネマン川上のいかだで会見するナポレオンとアレクサンドル1世」ヴェルサイユ宮殿

0コメント

  • 1000 / 1000