「サン・バルテルミーの虐殺」12 虐殺

 カトリーヌはコリニーの陰謀計画を伝える。過去の「アンボワーズ事件」(1560年3月、プロテスタント貴族ラ・ルノーディを中心とする不平貴族たちがアンボワーズ城にあった国王フランソワ2世を誘拐してカトリック強硬派のギーズ公を除こうと画策した事件)、「モンソー事件」(1565年9月、コンデ公とコリニーがモンソーの離宮に滞在する国王とカトリーヌを奪おうと6千の騎兵を率いて進軍した事件)、ギーズ公暗殺(黒幕はコリニー)のことなどを思い出させる。そして今ユグノーたちがコリニー暗殺未遂に復讐し、新たな陰謀を企てていること、それに抵抗するためにギーズがパリの人々を煽り立てていることを。今は一刻の猶予もない。すぐにプロテスタントを率いる首領たちの首を切ることだ。陰謀を未然に防ぐために、残された道はそれしかない。シャルルは肝をつぶすが納得しない。カトリーヌは作戦を変え、滝のような涙を流し、国王がこの計画に反対なら自分は国外に出ていくしかない。まだシャルルは納得しない。カトリーヌは腹心を呼び集め、深夜の議会を開催。容赦なくシャルルを責め立てる。シャルルは裏切りを恐れていた。そして今、彼が最も信頼できると信じていたコリニーの中に、その裏切りの存在を感じ始めた。そして怒りの発作に見舞われる。「自分は何をしたらいいのか」と尋ねるシャルルに、カトリーヌの腹心のゴンディが答える。

「ユグノーどもの機先を制することです。あと2日もすれば彼らは人々を好き勝手に殺すことでしょう。まず、手始めにやられるのがルーヴルです。」

 逆上しきったシャルル9世は、次のようにわめくことによって、同意を与えた。

「皆殺しにしろ!奴らを全員皆殺しにするんだ!」

 シャルルは叫び声をあげると、部屋から姿を消した。カトリーヌが作戦会議を取り仕切る。誰を殺すか?誰は生かしておくか?結局断罪者は20数名。カルヴァン派の二人の親王、アンリ・ド・ナヴァールとアンリ・ド・コンデはリストから外された。フランスの王家の血統は、神聖にして犯すべからざる存在なのである。処刑者は、アンリ・ド・ギーズと彼の叔父のオマール公らギーズ一族。民兵も、パリ市民も処刑には一切かかわりは持たなかった。さらにカトリーヌは用心のために、パリ市長クロード・マルセルと副市長シャロンを呼び寄せる。そして、秩序を守るための措置を指示した。パリの城門と言う城門を閉じ、民兵たちに武器を持たせ、セーヌに浮かぶすべての舟を鎖で係留すること、家々を、それぞれ一本の松明を持ち、左腕に白い腕章をつけた1名の民兵が見張ること。カトリーヌは気づいていなかった。こうした措置が、知らず知らずのうちに、国民全体にわたる大規模な殺戮劇を準備していたことに。民兵集団を指揮する市長、副市長は、ともに戦闘的なカトリックであり、ギーズ一族に従属し、市民たちを掌握していた(そう信じ、人々にもそう思わせていた)。彼らはカトリーヌに、口では「プロテスタントの首領たちの処刑は市民たちの願いを存分に満足させるものであり、熱狂的な指示による高まりがあるとしても、蜂起なぞ起こるはずもない」と言っていたが、下心は別だった。彼らの胸の内には、プロテスタントの首領を20数名処刑する程度のことよりも、もっともっと野心的な計画が秘められていた。王は《全員皆殺しにせよ!》と言ったではないか。そうであるなら、身分の上下を問わず、カルヴァン主義者全員を殺してもいいはずだ。

 カトリーヌは恐れていた、パリの暴発を。パリ市民の憎悪はプロテスタントに対してだけ向けられていたわけではない。新教徒たちとつるみ、新教徒たちを保護するだけでなく、権謀術数に長けたイタリア人の小集団に取り巻かれている王や王母、そしてヴァロワ朝の全員に対しても憎悪は向けられていた。彼らの憎悪がむき出しになれば、異端であろうと王族であろうと、その怒りの刃から逃れることはできなくなる。恐怖に取りつかれたカトリーヌは、ギーズ公のもとに使者を派遣し、計画の中止を伝える。しかし、その知らせは遅すぎた。コリニーはすでに殺害され、虐殺は開始されていた。計画実行の合図の市庁舎の鐘はまだなっていない。なぜ、実行が早められたのか?

「コリニーの殺害」

「パリ高等法院でユグノー虐殺の正当性を訴えるシャルル9世」

グレゴリウス13世がジョルジョ・ヴァザーリに描かせたフレスコ画

ジョセフ・ブノワ・シュヴェ「暗殺者と対するコリニー提督」ディジョン美術館

「コリニーの殺害」 

左側は未遂に終わったコリニー狙撃の場面、右上が寝室で殺害される場面

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