「サン・バルテルミーの虐殺」11 コリニー暗殺未遂
カトリーヌのコリニー殺害計画(彼女と最愛の息子アンジュ―公アンリだけで決められた)は、彼の死だけでなく、その結果として生じる政治的な余波までも見越していた。コリニーの信奉者たちは彼の恨みを晴らそうとするに違いなく、もし犯人を知った場合には必ず復讐に出るだろう。彼女と息子のアンリは、いかなることがあっても嫌疑をかけられないようにしなければならない。それは単に復讐から逃れるためだけではなく、その嫌疑を誰か別の人間たちに向けさせ、コリニー殺害の責任をその連中に取らせるためであった。そうなると、コリニーの殺害の実行者はギーズ一族以外には考えられない。ギーズ一族、特にギーズ公アンリは、コリニーがかつてポルトロ・ド・メレを使って父フランソワ・ド・ギーズの背中を火縄銃で狙撃させたと信じており、日頃からコリニーを父の敵と付け狙ってきた。もしカトリーヌが王国内に内戦を再燃させかねなかったその復讐劇に終始一貫反対していなかったなら、コリニーなぞとっくの昔に葬り去られていただろう。カトリーヌは自らその禁を解く。暗殺されたフランソワ・ド・ギーズ公の未亡人であるヌムール公爵夫人にこう伝える。カトリーヌの名前と王およびアンジュ―公アンリの名前は絶対に口外せぬこと、という唯一の条件を付けて「それさえ守ってくれれば、王の正義は犯行に対して目をつぶろう」と。なんとも巧妙な手口。公爵夫人はすべてを請け負った。
こうして、たとえコリニーの信奉者たちが殺害の下手人を探索しはじめるとしても、彼らが発見するのはカトリーヌやアンジュ―公アンリではなくギーズ一族。それは、王権にとって好ましいこと。コリニーだけでなくフェリペ2世の同盟者であるギーズも同じように滅びることで、王権と国内統一を目指すカトリーヌの政策は勝利するからである。
ナヴァル王アンリとマルグリット(マルゴ)の結婚式から4日後の8月22日、コリニー暗殺は実行された。結婚式以来初めて開催された諮問会議が午前十時頃終了し、コリニーは帰途についた。突然一、二発の銃声が音高く響く。しかしこの瞬間、奇跡が起こった。丁度コリニーが騾馬のたずなを調整しようとしてかがんだので、弾は狙いを外れてしまったのだ。弾丸は、コリニーの左胸を傷つけ、指の一本をもぎ取っただけだった。この知らせを受けたカトリーヌは深いショックと失望の中で、事の重大さを計る。コリニーはただちに犯人の捜査を要求し、カトリーヌがこの暗殺の首謀者であることは、瞬く間にあきらかになってしまうだろう。コリニーを父と慕うシャルル9世は狂気じみた怒りの発作の中で、母や弟に対する日頃の憎しみ(カトリーヌは子供たちの中でアンジュ―公アンリだけを偏愛していた)を一気に爆発させるだろう。パリにはナヴァル王アンリの結婚式のために集まったほとんど全員のプロテスタント諸公と、ネーデルラント遠征のためにコリニーが招集した8千のユグノー軍がいる。シャルル9世の同意を得て、彼らが支配権を握るのは時間の問題。
カトリーヌはかつて味わったことのない恐怖を感じていた。しかし、まずはシャルル9世と一緒になって暗殺者への怒りの声を上げ、処罰を要求することで時間かせぎをするしかない。8月23日、絶体絶命のカトリーヌの前に、一条の光が差し込む。この日、コリニーの家で集会が開かれ、新たな陰謀が企てられたとの報告がプロテスタント派に属する二名のスパイによってもたらされたのだ。計画内容はこうだ。パリを包囲して、ルーヴル宮を占拠して王および王母、王家の全員を皆殺しにする。同時に、結婚以来、カルヴァン派の大義に対してあまりに不熱心になり、権力と妥協することのみ心がけるようになったナヴァル王アンリをも殺害する。決行日は3日後の8月26日。
カトリーヌは大喜びでこの獲物にとびかかる。この陰謀によって、コリニーとその他のユグノーの首長たちを殺そうとするカトリーヌの試みが合法化された。これまでは、ユグノーが国王の保護を隠れ蓑にしていることが、カトリーヌを手も足も出ない状態にしていたが、事情が変わった。しかし、王の正義という大剣をふりかざすためには、王の同意が不可欠だった。カトリーヌはあらゆる方法を駆使してシャルルの説得に当たる。
ヴィルヘルム・フォークハルト「コリニー提督を見舞うカトリーヌ・ド・メディシスとシャルル9世」ヘルシンキ ハメーンリンナ美術館
ジョルジョ・ヴァザーリ「襲撃され運ばれるコリニー提督」ヴァチカン宮 王の間
ヤン・ファン・ラーウェステイン「コリニー提督」
「ギーズ公アンリ」カルナヴァレ美術館
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