夏目漱石と20世紀初頭のロンドン9  不愉快なロンドン③「しつこさ」

 江戸っ子漱石は、文化、人間関係におけるイギリス人のしつこいまでの濃厚さには少々うんざりしていたようだ。

「西洋人は執濃(しつこ)いことがすきだ。華麗なことがすきだ。芝居を観ても分る。食物を見ても分る。建築及び飾粧を見ても分る。夫婦間の接吻や抱き合うのを見ても分る。これが皆文学に返照している故に洒落(「しゃらく」。物事にこだわらず、さっぱりしていること)超脱(世俗にかかわらないこと。超俗)の趣に乏しい。出頭天外し観よ(「出頭天外看」=「天外に出頭して看よ」。雲を突き抜けて澄み切った空がひろがる天から自分を見なさい、という意味の禅語)というような様に乏しい。また笑而不答心自閑という趣に乏しい。」(1901年3月12日 『日記』)

 「笑而不答心自閑」は李白の七言絶句『山中答俗人』の一節。

         問余何意棲碧山     笑而不答心自閑

        桃花流水杳然去     別有天地非人間

 (下し文)

    余に問ふ 何の意ありてか碧山に棲むと    笑って答へず 心自(おのづか)ら閑なり

   桃花 流水 杳然(ようぜん)と去る,    別に 天地の 人間(じんかん)に非ざる有り (現代語訳) 

  わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と

  わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている

 「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく

  そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ

 江戸の趣味人としての確かなアイデンティティを有していた漱石は、雅の趣に欠けるロンドンの社会や人間に留学当初から不満を感じていたが、留学生活1年半後の1902年4月17日にも妻鏡子宛の書簡の中でこう記している。

「・・・ただ面白からぬ中に時々面白き事のある世界と思ひをらるべし。面白き中に面白からぬ事のある浮世と思ふが故にくるしきなり。生涯に愉快なことは沙(すな)の中にまじる金の如く僅かしかなきなり。当地には桜といふものなく春になっても物足らぬ心地に候。かつ大抵は無風流なる事物と人間のみにて雅と申す趣も無之(これなく)、文明がかくの如きものならば野蛮の方がかへつて面白く候。鉄道の音 汽車の烟(けむり)馬車の響 脳病などある人は一日も倫敦(ロンドン)には住がたかるべきかと思はれ候。日本に帰りての第一の楽みは蕎麦を食ひ日本米を食ひ日本服を着て日のあたる縁側に寝ころんで庭でも見る、これが願に候。それから野原へ出て蝶々やげんげんを見るのが楽に候。」

 ただし、決してイギリス人の進んだ面を見ていないわけではない。英国人のエチケットと彼らの権利意識の高さに着目してこう述べている。

「彼等は人に席を譲る 本邦人の如く我儘ならず 彼等は己の権利を主張す 本邦人の如く面倒くさがらず  彼等は英国を自慢す 本邦人の日本を自慢するが如し 何れが自慢する価値ありや試みに思へ」(1901年1月3日『日記』)

「西洋の etiquette(エチケット) はいやに六つかしきなり 日本はこれに反して丸で礼儀なきなり 窮屈にするは我儘を防ぐなり 但し artificiality(人為的なこと、不自然さ、わざとらしさ) を免れず 日本は礼儀なし 而も artificiality あり 且無作法に伴ふ vulgarity(下品、俗悪、やぼったさ)あり 礼なくして spontaneity(自発性,自然さ)あればまだしもなり 其利なく其害あるのみならず礼の害をも兼有せり馬鹿馬鹿敷」(1901年4月15日『日記』) 

(公園のベンチで抱き合うカップル)

(漱石の観た芝居「クリスチャン」の一場面)

(漱石がパントマイム劇「シンデレラ」を観たヒッポドローム劇場)

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