「すべてを理解し、把握し、表現する」
人物の持つ可能性、魅力を発見することの重要性は、画家以上に教師に求められていると思う。ルイ・アラゴンは言った。
「教えるとはともに希望を語ること 学ぶとは誠実さを胸に刻み込むこと」
希望を語るとはどういうことか。思春期・青年期を生きる若者は悩み、葛藤の塊と言っていい。自分に適した仕事は何か、自分が満足を得られる世界はどこにあるのか、自分が人生を共にできる女性とはどんなタイプか、なぜ彼女とうまくいかないのか、なぜ自分の想いがわかってもらえないのか。悩みだらけ、不可解なことだらけ。だからこそ、教師に求められるのは、同時代を生きる人間、少しだけ早く生まれ、少しだけ人生を考える時間が多かった先輩として、葛藤や悩みにアドバイスできる力だ。もちろん、明快な解答を与えられる必要なんかない。そんなに簡単に解答なんか得られない。したり顔の上から目線の意見なんて、まっぴらごめんだろう。どんなに悩みぬいて得た結論だろうとそれが自分以外の他者に当てはまるとは限らない。悩みぬいた人間ほど、その結論が自分だけのものであって、簡単に普遍性を持ち得ないことがわかっている。それでも、教師は語らなくてはいけない。自分を通して、人間、人生、社会、世界を語らなくてはいけない。希望を語ろうとしなければいけない。それが、教師の仕事なのだ。しかし、それをする教師、やろうとする教師があまりに少ない。自分が教職についてから25年。教育改革、学校改革と評して、様々な取り組みが行われてきた。真面目な教師は確かに増えた。授業の技術は以前より向上したかもしれない。しかし、生徒を見る目、生徒の可能性を見出す力、生徒の中に眠っている宝を見つけ、育てる力がかつてよりアップしたとは到底思えない。むしろ退化してるように感じている。大事なことは、生徒の中に生徒本人も気づかない個性を見出し、育て、伸ばしてやること。それができるだけの、人間理解力、教育力を日々鍛える力、それを喜びと感じる感性。それなくして、生徒に希望を語るなんて到底不可能だ。
ルノワールは、人間を理解していた。理解しようと求め続けていた。そうでなければ、あのような魅力あふれる人物表現はできなかっただろう。
「女が体現することのできる優雅さ、やさしさ、魅力、夢、媚態。女の神秘的で病的なところ。虚空のような底知れない女の視線の不可解さ、「香水が漂う」女の肉が放つ光。秘めた欲望と希望が花開いているあの18の娘たちの甘美さ。・・・ルノワールはそのすべてを理解し、把握し、表現している。・・・彼は身体の具象的な形態や微妙な肉付け、若い肉体の輝くような色彩を柔らかく描き出すだけでなく、魂の形態、女から滲み出る内面の「音楽性」や、心をとりこにするような神秘性を描き出す。・・・活発で生き生きとした女たちは、明色のあらゆる諧調、色彩のあらゆるメロディ、光のあらゆる振動を歌いあげているのだ。」(オクタヴ・ミルボー「ルノワール」、『ラ・フランス』誌、1884年12月8日号)
人間を理解しているものにしか、人間の魅力は表現できない、まして希望は語れないと思う。しかし、今ほど希望を語ることが求められている時代はない。
(1882年『縫い物をするマリー・テレーズ・デュラン=リュエル』ウィリアムズタウン クラーク美術館)
(1876年『ジャンヌ・デュラン=リュエル』メリオン バーンズ財団)
ジャンヌは、ルノワールを支援していた画商ポール・デュラン=リュエルの娘
(1876年『アンリオ夫人』ワシントン、ナショナル・ギャラリー) 女優アンリエット・アンリオのかわいらしさを引き立てるような描き方。彼女は生涯独身。
(1877年『座る女(爪を噛む女)』バーミンガム大学バーバー美術研究所)
(1894年『ジュリー・マネの肖像』マルモッタン・モネ美術館)
ジュリー・マネは友人で画家のベルト・モリゾの娘
(1897年『眠る女』オスカー・ラインハルト・コレクション)
ルノワールのヌード画についての考え
「裸婦を見ると、無数の色合いを感じる。僕はその中から、カンヴァスの上で肌が生き生きと震えるようなやつを探し出さねばならない」
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