「マリー・アントワネットとフランス」4 ルイ16世包茎説
マリー・アントワネットは、この結婚がハプスブルク家とブルボン家の結合であり、両家の血を引く男児を産んでフランス王にするのが自らに与えられた最重要の務めと自覚していた。そしてそれをさほど難しいこととは思っていなかった。何しろ母マリア・テレジアは多忙な政務の合間に16人もの子を生したし、アントワネットのすぐ上の姉たちも多産である。六女マリア・アマーリアはパルマ公妃として7人、十女マリア・カロリーナにいたってはナポリ王妃としてなんと18人出産している。アントワネットは、自分自身も健康だし、いくらでも子を産めると楽観していた。
ところが、二人の結婚は7年間成就されなかった。その理由については、長い間シュテファン・ツヴァイクの説が信じられてきた。要約するとこうだ。
「ルイ16世は包茎だった。簡単な手術ですぐ治るのに、メスを恐れて手術を回避したために状況がこじれてしまった。事態を見かねてマリー・アントワネットの兄神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世がウィーンからヴェルサイユに出向いてきて、直々に談判した結果、ルイ16世もやっと手術に踏み切り、結婚が成就した」
しかし、3人の医師が「ルイ16世は包茎ではない」という診断を下していたことが、今は明らかになっている。また、ルイ16世は引っ込み思案ではあったが、臆病ではなかった。当時は危険と考えてしり込みする人が多かった天然痘のワクチンを受けている。それなら、二人の結婚が成就しなかった理由は何か?
1777年、ヴェルサイユにやって来たヨーゼフ2世は、結婚生活について単刀直入に問いただした。もちろん、個別に。二人の話を聞いてヨーゼフがどう考えたかは、彼が弟レオポルト大公(後の皇帝レオポルト2世)に書いた次の手紙からおよそ類推できる。かなり生々しい。
「彼(ルイ16世)が言うには、ベッドの中で彼の例のものはきわめてよい状態に勃起する。それを挿入して、おそらく2分間はそのままにしておくのだが、それを動かすことはない。その間、勃起はつづいたままなのだがけっして発射することはできず、すごすごと引き下がることになる。そして、おやすみなさい、というわけだ。・・・妹もこの営みにあまり熱心ではなく、二人とも不器用そのものらしい」
ヨーゼフは、双方に責任がある、二人の努力と気力が不足しているからだと考えた。どうも二人は行為中に痛みを感じていたようだ。ルイ16世の痛みの原因はわからないが、アントワネットの方には「狭い」という事情もあったようだ。彼女の性格からいって、拒否の態度はかなり強硬なものだったろうと推測できる。ルイ16世はとても優しい性格だから、相手が苦痛を訴えればすぐに好意を中断しただろう。ヨーゼフは、断固たる態度で二人に説教した。ルイ16世には、ともかく思い切って最後まで行け、と言い、マリー・アントワネットには、子どもができない場合は将来どんな恐ろしい危険が待ち受けているかを懇々と諭し、夫にもっと優しく接し、本気で取り組めと言い聞かせたようだ。妹にこんな意見書を手渡している。
「妹よ、あなたは夫といる時に、愛想よくやさしくふるまっていますか。あなたはあらゆる機会をとらえて、彼があなたに示す思いやりにこたえていますか。彼があなたを愛撫したり、あなたに話しかけている時、あなたは冷たくぼんやりしてはいませんか。退屈したり、さらにはうんざりしたように見えてはいませんか。もしそういう態度を示しているなら、もともと冷淡な性格の彼があなたに近づき、さらにはあなたを愛するということを、どうして望むことができるでしょう。この問題を解決するために、あなたのこまやかな配慮が必要です。そしてこの大きな目的に達するために、あなたはできるかぎりのことをしなければなりません。それが、あなたの人生を幸福へと導く、このうえなく強いきずなとなるのです。けっして投げ出してはいけません。あなたは一生、彼が子どもをもつことに対して前向きな姿勢をとり、それを断念したり絶望したりしないように望む必要があるのです。あなたは否定的な考えを捨て、夫と別々のベッドで寝るという事態を全力で避けなければなりません。あなたの魅力と好意以外に、それを成功させる手立てはないのです。」
ジャン・バティスト・アンドレ・ゴーティェ・ダゴディ「ヴェルサイユ宮殿の私室でハープを奏でる王妃マリー・アントワネット」1777年 ヴェルサイユ宮殿
ヨセフ・クランツィンガー「乗馬服のマリー・アントワネット」1771年 シェーンブルン宮殿
ジャン・バティスト・アンドレ・ゴーティェ・ダゴディ「宮廷用に盛装した王妃マリー・アントワネット」1775年 ヴェルサイユ宮殿
ジョゼフ・デュプレシ「ルイ16世」ヴェルサイユ宮殿
ゲオルク・デッカー「ヨーゼフ2世」アルベルティーナ ウィーン
ポンペオ・バトーニ「皇帝ヨーゼフ2世とトスカーナ大公レオポルト」ウィーン美術史美術館
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