「マリー・アントワネットとフランス」2 マリア・テレジアの不安

 マリア・テレジアは、文学、歴史、フランス語、フランスの風習等の教育のため、家庭教師の派遣をフランスに要請した。派遣されてきたのはヴェルモン神父。33歳、ソルボンヌで博士号を取得し、図書館司書をしていた。ヴェルモン神父は、マリー・アントワネットの信頼を勝ち取ることに成功する。しかし、学課の勉強に関してはあまり成果が上がらなかった。学科に5分以上集中させることができなかった。マリー・アントワネットは彼を手なずけて、嫌な勉強を回避する術を心得ていた。学科ではなく、楽しいおしゃべりへと持ってゆくのである。ヴェルモンは駐仏オーストリア大使メルシー・アルジャント宛の手紙中で次のように述べている。

「彼女には、これまで思われていた以上の才知があります。不幸にして、この才知は12歳までいかなる集中にも慣らされてきませんでした。少しの怠け心と多くの軽薄さのために、私の教育は困難なものになっています。最初の6週間、私は文学の基本を教えることから始めました。答えがわかっている考えを紹介している間は、私の言うことをよく理解します。ほとんどすべての場合正しい判断をしますが、ひとつの主題を深めることに慣れさせることはできませんでした。彼女にはその能力がある、と私には思われたのですが。気持ちを集中させるには、楽しませながらやるしかないように思いました」

 マリア・テレジアもマリー・アントワネットの性格を正確に把握していた。

「私は、あの子の性格に多くの軽薄さ、熱意の不足、自分の意志を押し通そうとするかたくなさを認めました。しかも、誰かがあの子に意見をしようとすると、それを巧みにかいくぐる術を身につけているのです」

 ただ、フランス語に関しては、マリー・アントワネットは確実に進歩した。きれいで正しい発音だけでなく、会話術、受け答えの妙も会得した。彼女は、会話に関してはほぼ完ぺきなフランス語を身につけてヴェルサイユに向かうことになる。しかしそれだけでは王太子妃としては不十分。他国へ嫁ぐ王女の仕事は、二国間の平和の橋渡しとなること。とりわけ200年以上にわたって敵対してきたブルボン家に対しては、慎重の上にも慎重さが要求される。マリア・テレジアはそれまで二人の娘をスペイン・ブルボン系のパルマ公とナポリ王に送ったが、これらは小国なので仮に何かあっても影響は少ない。しかしアントワネットの相手はフランス王太子、未来のフランス王なのだ。これからの役割を肝に命じさせなければならない。

 マリア・テレジアはフランス行きに浮き浮きしているだけの娘を、出立前の数夜、自らの寝室に止まり込ませて説教に次ぐ説教を重ねた。現在のヨーロッパの勢力地図は永遠のものではない、平和と王家の維持には君主たるものの努力が必要、どれほどの努力によって今があるのか、と。また、条約を交わし、婚姻外交を進めても、国民の心の底に澱む相手への不信や嫌悪がそう簡単にぬぐえるわけもない。いったん事あらば、フランス人はアントワネットがかつての外国人だということを思い出し、牙をむくだろう、と。なおも不安だったマリア・テレジアは、マリアツェルへ巡礼に行き、神の力にも頼っている。

 1770年4月21日、マリア・テレジアは嫁入り道具の中に自らが記した「心得書」(「指針―毎月読むこと」という手紙)を持たせ、毎月決まった日に読むよう幾度も念押しして、娘を旅立たせた。

「・・・あなたがフランスのしきたりに反することを導入したり試みたりすることは、いささかも願ってはおりません。あなたは特別なことを要求してはなりません。わが国で普通に行われていることをしようとなさってもいけませんし、見習うよう求めてもいけません。私の願うのはそれとはまったく逆で、あなたは無条件に、フランスの宮廷でいつも行われているとおりにしなければいけません。・・・すべての目があなたに注がれています。ですから、悪評が立つようなきっかけをあたえてはなりません。・・・あなたは外国人であり、何としてもフランスの国民に気に入ってもらう必要がある・・・」

 そこには母親の愛とともに、フランスとのつながりを揺るぎないものにしたい必死さがあふれている。

ハインリヒ・フリードリヒ・フューガー「マリア・テレジアと子どもたち」1776年 ウィーン美術史美術館

アントン・フォン・マロン「オーストリア大公マリア・テレジア」1765~70年頃 ヴェルサイユ宮殿美術館

ジョゼフ・デュクルー「14歳頃のマリー・アントワネット」ヴェルサイユ宮殿 

 婚儀に先立ってフランスに送られた肖像画。この髪型は王太子妃風としてウィーンで流行する。

ジャン=バプティスト・シャルパンティエ(父)「マリー・アントワネット」1770年 ヴェルサイユ宮殿

「マリアツェル・バシリカ」 マリア大聖堂で、オーストリアで最も重要な巡礼地

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