「イギリス産業革命と紅茶文化」2 イギリス人と紅茶(2)文学者
イギリスの紅茶文化を表現していると考える文学者の文章をいくつか。
①ウィリアム・クーパー(1731~1800)詩集『仕事』
イギリスのロマン主義の先駆者的な詩人クーパーは、18世紀的な庶民の生活風景のひとこまをこう表現している。
「薬缶のお湯が、ぶくぶく音をたて、 ポットから 湯気が立ちのぼり、
また 元気づけてくれはするが、 決して酔わせる ことのない紅茶が
人びとを 待っていてくれる、 心静かな夕暮れが 待ちどおしい。 」
②ルイス・キャロル(1832~1898)『不思議の国のアリス』「気違いのお茶会」
「いかれ帽子屋」 (The Mad Hatter)は、かつてハートの女王に呼ばれ「きらきら光るコウモリさん」の詩を披露して、女王から「時間の無駄」と怒りを買ってしまい、それ以来、時間が止まったまま終わらないお茶会を続けている。そのため、テーブルには無数のポットやカップが並び、順番に席をずらしながらお茶会をしている。
「アリスはそれを聞いてふと気がついた。
—― こんなにたくさんの茶器がならんでいるのは、そのせいなのですね。
とアリスは訊ねた。
—― そう、そのとおり。
と帽子屋は歎息まじりにいった。
—― いつもいつもお茶の時間なんだよ。カップを洗うひまもないほど。」
③ジョージ・ギッシング(1857~1903)『ヘンリー・ライクロフトの私記』(1903年発表)
この作品の主人公ヘンリー・ライクロフトは貧困のうちに作家生活を続けていたが、50歳の時に思いがけず遺産が手に入ったので、南イングランドのデヴォンシャーに移って田園生活を始め、季節とともに微妙に変化する自然の移り変わりを楽しみながら、本を友として悠々自適の日々を過ごすことになる。5年後には永遠の眠りにつくが、その間に気の向くままに書きためていた文章をギッシングが発見してそれを春夏秋冬の4章に分け、一冊にまとめたという形をとっている。
「一日の生活の中でもっとも嬉しい瞬間の一つは、午後の散歩から少し疲れて帰り、靴をスリッパにかえ、外出着をよれよれの、ゆったりしたいつもの普段着にかえ、深い、ふわふわした肘掛椅子に腰をかけて、ティーの来るのを待つ瞬間である。しかし、いちばんくつろいだ気持ちになるのは、おそらくティーを飲んでいる時間であろう。・・・
午後のティーの饗宴(と呼んでもよかろうと思う)を設けたことほど、イギリス人の家庭生活に対するすぐれた素質を、はっきり示しているものはなかろう。どんなに貧しい家庭でも、ティーの時間だけは何か神聖なものを持っている。それは、家庭のさまざまな仕事と心労が一段落を告げたことを示し、落ち着いた団欒の夕べが始まったことを示している。」(「冬の6章」)
④ジョージ・オーウェル(1930~1950)「おいしい一杯の紅茶」(1946年1月12日夕刊新聞『イヴニング・スタンダード』紙に掲載)
現代のイギリス作家の中で、紅茶通の筆頭にあげてよいともされるジョージ・オーウェル。彼を紅茶愛好家として有名にしたこのエッセイの文章は次のように書き始められている。
「はじめて手にする料理の本で「紅茶」の項目を調べると、まずそんな項目はでていないか、それとも、せいぜい二、三行のざっとした説明が目につくくらいで、それすらももっとも大事なことには触れられていない。わが国はアイルランド、オーストラリア、ニュージーランドとならんで、紅茶が文明の大きな支えとなっているばかりでなく、紅茶を最高のマナーで飲むことが、よく論じられているにもかかわらず、この有様は不可解である。」
ジョン・テニエル「狂った茶会」(ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』)
ルイス・キャロル 1863年
ウィリアム・クーパー
ジョージ・ギッシング 1880年頃
ジョージ・オーウェル 1940年
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