2021.04.12 02:03「イギリス産業革命と紅茶文化」9 インド・キャラコ 国王から貿易の特権を与えられた特許会社であるイギリス東インド会社が設立されたのは1600年。航海ごとに利益は分配され、恒常的・組織的な株式会社としては不十分なものであったため、イギリスより遅れて1602年に発足したオランダ東インド会社(1回の航海ごとではなく、永続的に資金を集め...
2021.04.10 21:15「イギリス産業革命と紅茶文化」8 砂糖植民地と奴隷制 砂糖入り紅茶は、イギリスの近代史を非人道的かつ残酷なものにした。イギリスは1640年代後半までは砂糖をあまり重視しなかったが、ヨーロッパや本国における砂糖の需要と収益性増大によって、1627年に獲得したバルバドス島を砂糖植民地として開発。新しい栽培技術と改良製糖法の導入によって...
2021.04.09 23:22「イギリス産業革命と紅茶文化」7 紅茶+砂糖 われわれが緑茶を飲むとき砂糖もミルクも入れないが、大多数のイギリス人はどちらも入れる。なぜ紅茶に砂糖とミルクを入れるようになったのか? 茶にミルクを入れて飲む方法は、すでに蒙古当たりではふつうの飲み方であったから、イギリス人が開発した独特の飲み方とはいえない。しかし、砂糖入り紅...
2021.04.07 00:03「イギリス産業革命と紅茶文化」6 緑茶から紅茶、コーヒーから紅茶 イギリスは長らくオランダ経由で茶を入手していたが、1669年にオランダからの購入ルートを禁止して以来、本格的に自国での茶貿易にのりだすことになった。当時すでにアモイやマカオにイギリス商館が置かれていたので、イギリス人は直接中国に出向き、茶を輸入するようになる。ここで、福建省で作...
2021.04.05 23:14「イギリス産業革命と紅茶文化」5 キャサリン・ブラガンザ 茶がイギリスの王侯貴族の間でもてはやされるきっかけを作ったのは、1662年にチャールズ2世の元へ嫁いできた、ポルトガルのブラガンザ王家のキャサリン王女だった。なぜプロテスタント(イギリス国教会)国家イギリスがカトリック国ポルトガルから王妃を迎えたのか?イギリスでは17世紀の前半...
2021.04.04 22:19「イギリス産業革命と紅茶文化」4 コーヒー・ハウス「ギャラウェイ」 いつ頃茶がイギリスに初めてもたらされたかは明確な記録が残っていないが、最初に茶を売り出したのは1657年、ロンドンのコーンヒル街の路地エクスチェンジ・アレーにあったコーヒー・ハウス「ギャラウェイ」。店で茶を飲ませたのもこの店は最初だと言われている。この茶はオランダから持ち込まれ...
2021.04.03 21:16「イギリス産業革命と紅茶文化」3 茶貿易の先陣はオランダ ヨーロッパで初めて茶について知ったのはイギリスではない。16世紀イタリアのヴェネツィアの商人だ。当時ヴェネツィアは東洋と西洋を結ぶ貿易の重要な中継地で、最も国際的な都市であり、そこに絹や香料などと一緒に茶がもたらされたようだ。もちろん、実際に茶を東洋からヴェネツィアに運んだ(海...
2021.04.03 01:42「イギリス産業革命と紅茶文化」2 イギリス人と紅茶(2)文学者 イギリスの紅茶文化を表現していると考える文学者の文章をいくつか。①ウィリアム・クーパー(1731~1800)詩集『仕事』イギリスのロマン主義の先駆者的な詩人クーパーは、18世紀的な庶民の生活風景のひとこまをこう表現している。「薬缶のお湯が、ぶくぶく音をたて、 ポットから 湯...
2021.04.02 04:38「イギリス産業革命と紅茶文化」1 イギリス人と紅茶(1)ティー・タイム イギリス人の一日はティーにはじまりティーで終わるといわれるほど人と紅茶は切り離せない。紅茶好きのイギリスでは、一日に多い人で9回、平均でも7~8回は紅茶を飲んでいると言われている。漱石はロンドン留学中の日記(1901年2月4日)にこんなことを書いている。「うちの女連は一日に五度...