「ルノワールの女性たち」18 モデル①シュザンヌ・ヴァラドン(2)

 《ブージヴァルのダンス》、《都会のダンス》のモデルはマリー・クレマンティーヌ・ヴァラドン(1865-1938)。ルノワールの生まれ故郷リモージュに近い、オート・ヴィエンヌ県のベッシーヌ・シュル・ガルタンプに生まれ、幼い時から母親とモンマルトルに暮らした。生計を助けるため、さまざまな仕事についたが、運動神経と美貌に恵まれた彼女は、サーカスの曲芸師として人気を集めるようになる。しかし空中ブランコから転落して怪我をしたことから引退し、画家のモデルを始めた。肉感的な身体、くっきりとした眉や大きな青い目、そして豊かな表情が魅力のヴァラドンは人気のモデルとなった。エドガー・ドガは、マリー・クレマンティーヌ・ヴァラドンをその才能、魅力、人格を含めて両義的な意味で「恐るべきマリア」と呼んだ。また、美術評論家の若桑みどりは、モデルとしてのヴァラドンを次のように評している。

「人間は、顔よりもその肉体に精神を秘めているものである。シュザンヌの肉体の、堂々とした調和は、健全で、知的な精神をもった女性を暗示している。彼女が第一級の芸術家の創作意欲を刺激したのは、彼女の肉体の中にエスプリと形式美があったからだろう」。

 トゥールーズ・ロートレックは、当時すでに60代のシャヴァンヌや40代のルノワール(《ブージヴァルのダンス》が完成したとき、ヴァラドンは18歳、ルノワールは42歳であった)のモデルをしていることを皮肉って、彼女を「シュザンヌ」と名付けた。『旧約聖書外典』(「ダニエル書補遺」)に登場するスザンナのことであり、スザンナは水浴中の姿を長老たちに覗き見され、関係を迫られた女性である。この名前が気に入ったヴァラドンは、以後、「シュザンヌ・ヴァラドン」を名乗ることになる。

 ルノワールが「優雅な若い女性」、「若さと官能に溢れた女性」としてのヴァラドンを描いたのとは対照的に、ロートレックは厳しい表情やうつろな表情のヴァラドンを描いた。ロートレック研究家の千葉順は、ロートレックがヴァラドン像で表現したのは「厳しい生活を生きる女性の強い意志」、「ひとりの女性の内面」であり、とりわけ、《二日酔い》では、「来し方行く末を思い、沈鬱な想いに耽る現実の人生を生きるひとりの女性の姿」を描いていると評している。

 ヴァラドンは後に画家となるモーリス・ユトリロ(1883-1955)の母となり、また自身も40歳を過ぎてから本格的に絵画制作を始め、画家シュザンヌ・ヴァラドンとして知られた。

【作品33】「雨傘」1881―85年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 画面上部に雨傘が重なり合うように描かれている。前景の人物は思い思いに街路を行き来する。右側のふたりの少女とふたりの女性は印象派風の軽快な筆触だが、左側の女性(シュザンヌ・ヴァラドン)と男性(ポール・ロート)は明確な輪郭線で象(かたど)られている。右側の部分は1881年に、左側の部分は1885年に、それぞれ制作された。人物が身に着けている衣装もそれぞれの時期に流行していたもの。二つの部分を比べてみると、ルノワールの関心がどんなふうに変化したかよくわかる。右側では母親と少女ふたりがやさしく煙るような色彩で描かれているのに対して、左側と上でポイントとなっているのは、くっきりした立体としての物の形だ。いくつかの面でできた傘の半円球形。ちょっと不自然なほど強調された買い物籠の立方体。そしてその籠を持つ少女の腕さえ、円柱のように描かれている。この時期、ルノワールは自分の絵に行きづまりを感じ、立体をくっきり描くという問題に取り組み始めたのである。この絵の傘や籠にみられる単純な立体への関心は、尊敬する友であったセザンヌに共通するものだ。

 籠を持ち、傘をささずに道を急ぐ女性(シュザンヌ・ヴァラドン)は、帽子をかぶっておらず、当時の通念としては身持ちのよい女性ではないようだ。彼女を誘おうと、背後から男性が近寄っている。一方、定番のおもちゃであるフープを手にした少女たちは、その着飾った様子からも裕福な階級だとわかる。都市はさまざまな階層が集まる場所なのである。

 19世紀後半になると、細身で軽い高品質のこうもり傘が、高価ではあるものの、入手できるようになった。こうもり傘は、にわか雨のときに若い女性に声をかけるよい口実でもあった。この作品では、傘はその形がつながっていくことでリズムを生み出しているが、それはカイユボットがその大作《パリの通り、雨》(1877年 シカゴ美術館)のなかで用いた方法に似ている。

ルノワール「雨傘」1885

ルノワール「髪を編む娘」1887 ラングマット美術館 バーゼル 

 モデルはシュザンヌ・ヴァランドン アングルの影響が、人体処理の厳密さ、色の一様性という点で最も強くみられる作品

ロートレック「二日酔い」1888頃 フォッグ美術館 モデルはヴァラドン

シュザンヌ・ヴァラドン 1885

シュザンヌ・ヴァラドンと息子のモーリス・ユトリロ 1890年頃

シュザンヌ・ヴァラドン「自画像」1898 ヒューストン美術館

ティントレット「スザンナと長老たち」ウィーン美術史美術館

カイユボット「パリの通り、雨」1877年 シカゴ美術館

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