「ルノワールの女性たち」17 モデル①シュザンヌ・ヴァラドン(1)
1882年の前半を旅行(イタリア、アルジェリア、セザンヌのいる南仏レスタック[マルセイユ])で過ごしたルノワールは、夏から秋にかけてヴァルジュモン(ポール・ベラールの別荘)に滞在し、その直後から一連のダンスを描いた大作を制作しはじめる。最初に《ブージヴァルのダンス》、続いて一対の《田舎のダンス》と《都会のダンス》が描かれた。
日曜日に野外でダンス・パーティーを開くのは、19世紀後半のパリとその近郊で流行した習慣だった。ブージヴァルは、パリから18㎞ほど離れたセーヌ河畔の行楽地だが、同じような光景はパリ市内でも見られたという。もともとは労働者のみで催されていたが、ルノワールの時代には、ブルジョワも加わるようになった。また踊りも男女4人が組むカドリールから、ワルツやポルカへと移行した。したがって、この3作で男女のペアが躍っているのも、ワルツと考えられる。
女性たちの服装も微妙に異なる。いずれも腰の後ろを膨らませた、当時流行のバッスル・スタイルだが、《ブージヴァルのダンス》はタフタ(絹の平織り)の夏着、《田舎のダンス》は木綿の晴れ着、《都会のダンス》はやはりタフタの夜会服となっている。行く場所や目的によって服を着替えるのは19世紀後半に盛んになった習慣だが、ここでも保養地、田舎、都会のイメージが見事に描き分けられている。また《ブージヴァルのダンス》、《田舎のダンス》では、女性が恋に身を任せているように描かれ、ロマンティックな雰囲気であるのに対し、《都会のダンス》の女性はやや儀礼的でぎこちない。やはり都会の女性は乙にすましていたのだろうか。
なお、この連作を最後に、ルノワールはパリ近郊の風俗を描くのをやめる。近代社会の発展とともに、このようなおおらかな風習が都市生活から締め出されたからである。
【作品30】「ブージヴァルのダンス」1882―83年 ボストン美術館
女性のモデルはのちに画家になるシュザンヌ・ヴァラドン(当時17歳)、男性はルノワールの友人アンドレ・ロート。労働者の男性とブルジョアの娘という組み合わせであり、当時の風俗をもっともよく反映している。控え目な赤い縁飾りのついた白いドレスが赤い帽子を引き立て、女性の黄色いベルトは男性の靴の色に呼応している。また足元に捨てられた菫の花束とマッチの燃えかす、タバコの吸い殻が、行楽地の特別な開放感と危うい雰囲気を暗示しているかのようだ。踊る人の背景に描かれた森は斜めのストロークで描かれており、セザンヌの影響かもしれない。この動きのある背景が、踊る男女の躍動感を強調している。《都会のダンス》《田舎のダンス》の場合と違って、背景ににいる速描風に描かれた何人かの人物像は、ルノワールの以前の作風をとどめているが遠ざかりつつあった印象派風の手法をまだとどめている。ルノワールは、イタリアで感嘆したラファエロの感化を受けて、この作品ではデッサンの線とモデリングを優先させている。ルノワールにとって、「デッサンは美術の誠意である」というアングルの教えは大きな位置を占めていた。
【作品31】「都会のダンス」1882―83年 オルセー美術館
女性のモデルは、やはりシュザンヌ・ヴァラドン。この作品では、上品なはじらいをとどめたほっそりと繊細な女性となっており、口元には慎ましやかな微笑を浮かべている。《都会のダンス》と《田舎のダンス》では、踊る男女が人気のない背景を背に浮き出ており、いわば正確に繊細にデッサンされていて、以後10年にわたるルノワールの芸術の発展が始まったことを告げている。
【作品32】「田舎のダンス」1882―83年 オルセー美術館
《田舎のダンス》と《都会のダンス》は対の作品として構想されたものだろう。女性のモデルはアリーヌ・シャリゴ(1890年にルノワールと正式に結婚)、男性のモデルはアンドレ・ロート。画面の左上に女性が持つ扇があり、右下に男性が被っていたであろう麦わら帽子が落ちている。背景は《ブージヴァルのダンス》より簡素である。女性の小花模様のドレスや、やや大きな手袋、そして満面に笑みをたたえた陽気な顔は、食後のひと時を純粋に楽しんでいるカップルのように見せている。少々田舎っぽい陽気な印象を与えるこの女性は、主題にピッタリあっている。
1883「ブージヴァルのダンス」
1883「都会のダンス」
1883「田舎のダンス」
ブージヴァルにおけるダンス・パーティーのポスター 1890年頃
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