「宗教国家アメリカの誕生」19 アメリカ独立戦争(2)独立宣言①

 1775年6月にはボストン近郊で軍事衝突が起こり(「バンカーヒルの戦い」)、民兵を主体とするアメリカ側の部隊はイギリス軍の猛攻に撤退を余儀なくされたものの、同時に大きな損害を与えた。7月には大陸会議が「武器をとる理由と必要の宣言」を発して自らの行動を正当化する一方、本国との和解の道を求めてジョージ3世への請願書(平和を希求したことから「オリーヴの枝誓願」と呼ばれる)を採択した。しかし、ジョージ3世は8月にこの誓願を受け取ることすら拒否したばかりか、北アメリカ植民地が反乱状態にあると宣言。しかも、翌76年1月にはドイツ人傭兵隊の北アメリカへの派兵に踏み切り、植民地人の抱いていたジョージ3世への期待もついえ去っていく。

 それでも、独立への道は容易ではなかった。ニューイングランドを中心に戦闘が長期化するなか、植民地の人びとの間では、大きな意見の対立が生じていた。戦争を継続し、独立もやむなしとする愛国派(パトリオット)、「イギリス人意識」にこだわって国王に忠誠を誓い、独立に反対する忠誠派(ロイヤリスト)、どちらとも決めかねている人々、の三者にそれは大別できる。かくして、以前は両立していた「アメリカ人」(具体的には各植民地人)と「イギリス人」のアイデンティティは引き裂かれ、二者択一を迫られることになったのである。

 独立について態度を決めかねている人々が依然多かった中、フランクリンの勧めでイギリスからアメリカに渡って来たトマス・ペインが、1776年初頭に匿名で出版した小冊子『コモン・センス』は大きな衝撃を与えた。同書は、世界史の事例を引きながら、聖書にまでさかのぼって王政や世襲制の危険性を説き、イギリス国王の統治の正当性を否定する。さらに、「野獣でもその子をむさぼり食おうとしない」のに、今や本国は植民地を押しつぶそうとしており、独立はやむをえないだけでなく、多くの利点があると論じたのである。この小冊子は版を重ね、その年だけで少なくとも10万部を売り上げ、さらに新聞に転載されたりして、独立の世論形成に大きく寄与した。

 ただ、大陸会議が最終的に独立に踏み切る決断を下したのは、本国の軍事的攻勢によるところも大きい。ボストンから撤退してカナダで待機していたイギリス軍が、本国からの増援を得て大軍となり、海路アメリカへ迫りつつあった。事態が切迫する中、大陸会議は議論の末、独立宣言草案作成のための委員会を設置する。6月末にはイギリスの大艦隊がニューヨーク沖に到着したとの知らせが届いた。決断の時はせまりつつあった。

 7月1日に大陸会議で独立宣言に関する審議が始まると、依然としてディキンソン(ペンシルヴェニア代表)が反対意見に固執した(彼が最後まで独立に消極的だったのは、イギリス軍という共通の敵がいなくなると植民地間の対立が生じる危険があり、また君主政の重しがなくなることで、民衆の勢力が秩序を破壊しかねないと恐れたからだった)。この日の表決で9植民地が賛成したのに対して、ペンシルヴェニアとサウスカロライナが反対し、デラウェアの票は半々に分かれ、ニューヨークは棄権した。9植民地の賛成だけで独立に踏み切るのにはなおも懸念が残ったことから、最終的な決定は翌日に持ち越された。その結果、7月2日にサウスカロライナとデラウェアに加えて、ペンシルヴェニアもついに賛成に回ったことで、北アメリカ植民地の独立が正式に決定されたのである。

 こうして13植民地中ニューヨークを除く12植民地の賛成で独立が決定され、独立宣言の文章も7月4日の夕刻までに成文の完成をみた。独立宣言は7月4日に公布されたが、7月19日にニューヨークが賛成したことによって、その名称には「全会一致の」という言葉が付け加えられた。その結果、独立宣言の正式名称は「大陸会議における13のアメリカ連合諸州(ユナイテッド・ステイツ)による全会一致の宣言」となったのである。ジョン・アダムズは40年後に、独立宣言の採択を「13の時計が同時に鳴った」と形容している。彼は政治も宗教も習慣も相互に違う13の植民地が、イギリスからの独立を連帯して決定したのは、人類史上稀にみる快挙だと感じていたのであった。

ジョン・トランブル「バンカーヒルの戦いにおけるウォーレン将軍の死」ボストン美術館

バンカーヒル記念塔

「トマス・ペイン」ナショナル・ポートレート・ギャラリー

『コモン・センス』1776年出版

ジョン・ディキンソン

ギルバート・ステュアート「ジョン・アダムス」ナショナル・ギャラリー・オブ・アート ワシントン

 ジョン・アダムズは、採択に関する議論では前面に立った。長い年月の後にジェファーソンはアダムズのことを「会議場における(独立宣言)支持者の柱であり、その最も有能な提案者かつそれが遭遇した多種多様の攻撃に対する守護者だった」と称賛した。

0コメント

  • 1000 / 1000