「宗教国家アメリカの誕生」18 アメリカ独立戦争(1)開戦

 ボストン・マラソンはマサチューセッツ州、メイン州、ウィスコンシン州の法定祝日「愛国者の日Patriots' Day」(4月19日、現在は第三月曜日)の恒例行事。この日はアメリカ独立戦争の緒戦となる1775年4月19日の「レキシントン・コンコードの戦い」を記念したものだが、ある人物と関わっている。その名はポール・リヴィア。彼は何をした人物か?

 1775年4月18日の夕刻から19日の夜更けにかけて、銀細工師のポール・リヴィアともう一人の使者ウィリアム・ドーズは、ボストンに駐留するイギリス軍の動きを知らせるため、レキシントンへと馬を走らせた。サミュエル・アダムズらの逮捕と武器庫の破壊のために、イギリス軍がレキシントン・コンコード方面へ向かっているとの情報である(「ボストン茶会事件」の後でボストン港を封鎖して以降、ボストンに駐在するイギリス軍は常にリヴィアや他の愛国者によって監視されていた)。それを受けて「ミニットマン」と呼ばれる地域の民兵(服装もまちまちで、銃一丁を手に、数分で戦う準備ができたのでこう呼ばれた)が参集し、夜が明けるとイギリス軍との戦闘が始まって、大きな打撃を与えた。マサチューセッツ湾植民地で勃発したこの「レキシントン・コンコードの戦い」により、独立戦争の幕が切って落とされたのである。

 この戦いにおける伝令の役割を担ったことで、リヴィアはその死後も不朽の名声を与えられ、リヴィアの名前と「真夜中の騎行 Midnight Ride」という言葉は愛国者の象徴としてアメリカ合衆国中に知れ渡っている。彼が国民的英雄への階段を一気に駆け上がったのは南北戦争前夜。その契機となったのは、ハーヴァード大学教授にして詩人のヘンリー・ワズワース・ロングフェローがいくつもの虚構を交えて書き上げた一篇の詩「ポール・リヴィアの騎行」。この詩はアメリカ史の中でも最もよく知られるものとなり、学校に通う世代から記憶されることになった。 最初の節は次の通りである。

「Listen, my children, and you shall hear    お聞きよ子供達。これは聞いておくべきだよ

Of the midnight ride of Paul Revere,      ポール・リヴィアの真夜中の騎行の話だ

On the eighteenth of April, in Seventy-Five;  時は1775年、4月18日の夜

Hardly a man is now alive          今はもうだれも生きてはいないよ

Who remembers that famous day and year  その有名な日と年のことを憶えている人は

On the midnight ride of Paul Revere      ポール・リビアの真夜中の騎行     」

 「レキシントン・コンコードの戦い」の翌月、当初の予定に従って、フィラデルフィアに各植民地の代表が再び集まり第二次大陸会議が開催された。以後、常設機関となったこの第二次大陸会議は事実上の中央政府として機能し、革命推進を担うことになる。大陸会議はただちにジョージ・ワシントンを大陸軍(正確には大陸陸軍)の総司令官に任命する。当時、軍事面ではワシントン以上のキャリアを持つ軍人(植民地側についた元イギリス軍士官ら)がいたにもかかわらず、ワシントンが総司令官に選ばれた理由は何か?彼がかつて「フレンチ・インディアン戦争」で植民地人として最大規模の軍を動かした経験を有する一方、ヴァージニア植民地で政治経験も積み、大陸会議のメンバーであったことが大きい。さらに、初期の戦闘がもっぱら北部のニューイングランドで戦われたことから、植民地全体の支持を取り付けるためには、最大の人口を擁する南部のヴァージニアの参戦を促す必要があり、ヴァージニア人を軍事指導者に任ずることが得策だと大陸会議が判断したことなども指摘できる。

 大陸軍総司令官に任命されたワシントンは、大陸会議の権威を常に尊重し、文民統制の原則を守りつつ、民軍関係に心を砕きながらその重責を果たすことになる。かくして大陸軍は、13植民地の集合体に最も端的なかたちで実態を与えた最初の組織となった。そして戦局が展開する中、各植民地では旧来の植民地政府が次々と機能を停止しはじめ、総督も退去を余儀なくされてゆく。そして、それまでの植民地議会に替わって、当初は非正規の組織だった植民地会議や革命協議会が各植民地の臨時政府となる。

ポール・リヴィアのレキシトンへの到着

ポール・リヴィアの真夜中の騎行

レキシントンの戦い

「ポール・リヴィアの家」   ボストン

 20世紀になって修復・公開

「ポール・リヴィア像」ボストン

レンブラント・ピール「ジョージ・ワシントン」デ・ヤング美術館 サンフランシスコ

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