「宗教国家アメリカの誕生」9 マサチューセッツ植民地(2)ロジャー・ウィリアムズ
注意しなければいけないのは、信仰の自由を求めてニューイングランドへ移住したウィンスロップらピューリタン(非分離派)たちは、あくまで自分たちの信仰の自由を求めていたのであって、他の人びとがそれぞれ自由な信仰や無信仰を実践する権利を保障しようとしたわけではなかった、ということ。イングランドで迫害された彼らは、ニューイングランドではむしろ迫害する側に立って、異なる信仰を排除することもあった。
その一例が、清教徒革命の中でジョージ・フォックスが創始した宗派「クエーカー」。彼らは、万人に働く聖霊の力と内なる光を信ずる人々だったが、権威への不服従などをとがめられることがあった。ちなみに「クエーカー(震える人)」とは、この派の人びとが神秘体験にあって身を震わせる(quake)ことに由来する俗称で、会員自身はこの言葉を使わずに「友会徒」(Friends)と自称している。マサチューセッツでは、彼らの逮捕と強制送還の手続きに加え、なお再侵入を企てた場合には絞首刑をもって臨むことが定められ、1661年までに4人のクエーカーが処刑された。
また、マサチューセッツ植民地では、「公民」の資格に教会員であることが当然のように前提されていた。牧師たちが政治的な公職に就くことはなかったが、市民生活における聖職者たちの発言力と指導力は極めて大きかった。市民政府は、公共の秩序と社会の安寧に責任を持つため、宗教的異端や神政冒瀆はこれを乱すものとして取り締まり、必要な場合には処罰する権限をも有していた。国家と教会は協力してともに神の法に従うべき存在であり、その共通の任務にはキリスト教を擁護し発展させることが含まれていた。こうした政教制度に根本的な反対を表明したのが、ロジャー・ウィリアムズである。彼は、世俗権力が宗教的宣誓を強制することに反対したり、先住民の土地の強奪を痛烈に批判したりしたため、1636年には植民地から追放された。
やがてウィリアムズは、先住民に助けられながら、彼らから譲渡された土地に「プロヴィデンス」を建設する。「プロヴィデンス」とは英語で「神の摂理」を意味し、ウィリアムスが「(その土地が)逆境にある私に神の慈悲深い摂理を感じさせる」として名づけた。このロードアイランド植民地は、ウィリアムズ自身の迫害体験から、「何人も良心のゆえに迫害されてはならない」ことを根本原則として建設されたため、彼の名は「信教の自由」を掲げた最初の人権論者として歴史に残ることになった。彼の像は今日、カルヴァンやノックスらと共に、ジュネーヴの「宗教改革記念碑」にアメリカの代表として加えられている。
ところで、マサチューセッツで特筆に値するのは、入植直後から、大学を設立し、初等教育を法制化し、印刷を開始し、信仰教育を兼ねた識字教育読本を出版するなど、教育に強い関心が払われたことである。そのため、17世紀末の白人成年男子の識字率は3分の2を越えており、同時代的な比較では極めて高い水準となった。
ハーヴァード大学と言えば、各種の大学ランキングでは常に最上位に位置する名門校で、政財界から学術分野まで幅広い分野で指導的な人材を輩出し続けている。2018年時点で8人のアメリカ大統領、48人のノーベル賞受賞者が出ているほか、32人の元留学生が母国で国家元首となっている。1636年設立のアメリカ最古の大学だが、この年の9月18日に招集されたマサチューセッツ湾植民地の議会で「学校またはカレッジ」新設のために資金を支出することが議決されたため、この年が創立年とみなされている。1639年、清教徒派の牧師ジョン・ハーバードが遺贈した財産と蔵書をもとにカレッジとしての活動が本格的に稼働し始
め、同時に「ハーバード・カレッジ Harvard College」という名称が用いられるようになった。設立当初の目的は「社会と教会の指導者を育成する」となっており、教育モットーはヨハネの福音書17章3節(「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」)から取った「神とその子キリストを知る」だった。
ロジャーウィリアムズを受け入れる先住民ナラガンセット族
「ロジャー・ウィリアムズ像」 宗教改革者記念碑 ジュネーヴ
「宗教改革者記念碑」ジュネーヴ
ハーヴァード大学
「ジョン・ハーヴァード像」
敬虔なピューリタンの牧師で30歳で死去
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